まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示・151〜180
ひふみ神示を、まぜまぜに読むp(^_^)q
☆ひふみ神示・第5巻
地(くに)つ巻全36帖
通し番号(一三八)帖~(一七三)帖
自 昭和十九年九月十五日
至 昭和十九年十月十一日
☆ひふみ神示第6巻
日月(ひつ九)の巻・全四十帖
通し番号(一七四)帖~(二一三)帖
Θ(ヒ)の巻・第一帖(一七四)~第二十七帖(二〇〇)
月(ツキ)の巻・第二十八帖(二〇一)~第四十帖(二一三)
自 昭和十九年旧九月一日
至 昭和十九年十一月三十日
151>180
地つ巻、第十四帖(一五一)
この道、分りた人から、一柱でも早う出てまゐりて、神の御用なされよ。
どこに居りても、御用はいくらでもあるのざぞ。
神の御用と申して、稲荷下げ(いなりさげ)や、狐つきの真似はさせんぞよ。【そんな時は、僕たちが悪弧さん達に「そんな事やってる場合じゃないでしょ!もうやめなよ!」と、説得に行きます!>九尾の狐、クーとコンより(^^)(^^)>明日香より、クーちゃんとコンちゃんは、改心して、私たちと一緒に歩む決心をしてくれた、九尾の狐さん達です。>神示より・悪ほど改心はやい、相手を神として敬いなさい、そうすれば敵でなくなる。>明日香( ^ω^ )】
この道はきびしき行 (みち)ざから楽な道なのぞ。
上にも下(しも)にも、花さく世になるのざぞ。
後悔は要らぬのざぞ。
カミは見通しでないとカミでないぞ。
今のカミは見通しどころか、目ふさいでゐるでないか。
蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。
赤児になれよ。
ごもく捨てよ。
その日その時から顔まで変るのざぞ。
神、烈しく結構な世となりたぞ。
九月二十三日、
ひつくのか三。
日月の巻、第七帖(一八〇)
ツギ、タカミムスビ。
ツギ、「カミムスビノミコト」トナリタマイキ。
コノミハシラ、「ス」ニナリマシテ 、スミキリタマイキ。
岩戸ひらく道、神々苦むなり。
弥ひらき、苦む道ぞ。
苦しみてなりなり、
なりゑむ道ぞ。《明日香>成り、笑む、みちぞ⁇》
神、諸々なり。
世は勇むなり。
新しき道、ことごとなる世。
神諸々(かみ、もろもろ)
四方(よも)にひらく。
なる世の道。
ことごとくの道、みいづぞ。
十月二十四日、
一二Θ。
【明日香>コノ、ミハシラ=アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビ、の三柱の神様】
152>179
地つ巻、第十五帖(一五二)
神の国のカミの役員に判りかけたら、バタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。
臣民物言はなくなるぞ、
この世の終り近づいた時ぞ。
石、物言ふ時ぞ。
神の目には外国も、「やまと」もないのざぞ。
みなが神の国ぞ。
七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ。一つの王で治めさすぞ。
てん詞様が世界「みそなはす」のざぞ。
世界中の罪、負ひておはします「素盞雄の大神様」に気附かんか。
盲つんぼばかりと申してもあまりでないか。
九月の二十三日、
ひつ九のか三。
日月の巻、第六帖(一七九)
アメツチノトキ、
アメミナカヌシノミコト、
「ア」ノ「ア」ニナリマシキ。
タカアマハラニ、ミコトトナリタマヒキ。
今の経済は悪の、経済と申してあろがな。
もの殺すのぞ。
神の国の経済は、もの生む経済ぞ。
今の政治は、もの毀す(こわす)政治ぞ。
神の政治は与へる政治と申してあろが。
配給は配給、統制は統制ぞ。
一度は何もかも天地に引上げ、と申してあるが、次の四(よ)の種だけは「字に」《地に?文字に?>明日香》埋めておかねばならんのざぞ。
それで神が、くどう申してゐるのぞ。
種は、落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐるぞ。
上下に引繰り返ると申してある事、近づいて来たぞ。
種は百姓に与へてあるぞ。
種蒔くのは百姓ぞ。
十月の二十二日、
ひつ九かみ。
153>178
地つ巻、第十六帖(一五三)
神が臣民の心の中に「宝」いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。
一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようが、われさへよけらよいと申してゐるでないか。【明日香>我さえ良ければ良い、と申しているでしょう】
それはまだよいのぞ。
神の面(めん)かぶりて、口先ばかりで「神さま神さま」、「てんしさまてんしさま」と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ。
いざと云ふときは、尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ。
犬猫は正直でよいぞ。
こんな臣民は、今度は気の毒ながらお出直しぞ。
神の申したこと、一分一厘ちがはんのざぞ。その通りになるのざぞ。
うへに(上に)唾き(つばき)すればその顔に落ちるのざぞ。
時節ほど結構な、こわいものないぞ。
時節来たぞ。あはてずに(慌てずに)急いで下されよ。
世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。
今に、病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民、苦しむ時近づいたぞ。
病はやるぞ(やまい、流行るぞ)。
この病は見当とれん病ぞ。
病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ。
今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。
この方の神示(ふで)よく腹に入れて、病追ひ出せよ。
早うせねば「フニャフニャ腰」になりて、四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると、申してあらうがな。
神の入れもの、わやにしてゐるぞ。
九月二十三日、
ひつ九のか三。
日月の巻、第五帖(一七八)
神の国には神も人も無いのざぞ。
忠も孝もないのざぞ。
神は人であるぞ。
山であるぞ。
川であるぞ。
めである。
野(ぬ)である。
草である。
木である。
動物であるぞ。
為すこと皆忠となり、孝とながれるのぞ。
死も無く、生も無いのぞ。
神心あるのみぞ。
やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員気つけて呉れよ。
神の用意は出来てゐるのざぞ。
何事からでも早よう、始めて呉れよ。
神の心に叶ふものは、どしどしと「らち」明くぞ。
十月二十一日、
一二Θ。
154>177
地つ巻、第十七帖(一五四)
まことの善は悪に似てゐるぞ。
まことの悪は善に似てゐるぞ。
よく見分けなならんぞ。
悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ。
悪人はおとなしく見えるものぞ。
日本の国は世界の雛形であるぞ。
雛形でないところは、真の神の国でないから、よほど気つけて居りて呉れよ。
一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ。
神が特に気つけておくぞ。
今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから、雛型見てよく腹に入れておいて下されよ。
後悔間に合はんぞ。
九月二十三日、
ひつ九のか三。
【あさりより>『日本の国とは言え、神の元の国ではないところ』。みなさんは何処だと思いますか?実はこれ「四国」、なのです。四国八十八箇所霊場とは、黄泉の国(よもつのくに)を封印し、かつ、四国の地を、神の元の国として成りすます為の装置でもあるのです。 世の元に返す、というのは、四国の地を元の状態に戻した上で、浄化、改心させることも含まれています。そして、黄泉の国の女王として迎え入れられた、いざなみさんが、その役目を果たして帰ってくることも意味します。それこそが、いざなぎ、いざなみの磐戸開きとなるのです。《>明日香、私も、つい先日「四国が〜〜」というのをはじめて聞いた時は、衝撃でした‼︎》】
日月の巻、第四帖(一七七)
戦済みても、後の紛糾なかなかに済まんぞ。
人民いよいよ苦しくなるぞ。
三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。
此の神示読んで、三四五の世の仕組、よく腹の中に入れておいて、上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。
三四五とはてんし様の稜威出づ(みいづ、いず《稜威が、出ずる》)ことぞ。
十月二十日、
ひつ九のか三。
155>176
地つ巻、第十八帖(一五五)
われよしの政治ではならんぞ。
今の政治経済は、われよしであるぞ。
臣民のソロバンで、政治や経済してはならんぞ。
神の光のやり方でないと治まらんぞ。
与へる政治がまことの政治ぞよ。
臣民いさむ政治とは、上下まつろひ合はす政治のことぞ。
日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ。
いくら曇っても、悪が妨げても、昼は昼ぞ。
いくらあかりつけても、夜は夜ぞ。
「神のやり方は日の光」と申して、くどう気つけてあらうがな。
政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。
神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか。
神のやり方は人の身魂(からたま)、人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。
腹にチャンと神鎮まって居れば(かみ、しずまっておれば)何事も「箱さした様に」動くのざぞ。【明日香>「箱さした様に」の意味が、皆さん「??」だと思います。わたしも?でしたが、おそらく『箱』とは、「算盤(そろばん)」であり、『さした』とは、「物差し」を表現しているのではないかと思われます。>地つ巻、第二十一帖(一五八)参照。】
いくら頭がえらいと申して、胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ。
この道理分りたか。
ぢゃと申して、味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。
神の政治はやさしい、六ヶしいやり方ぞ。
高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
神の印(しるし)つけた悪来るぞ。
悪の顔した神あるぞ。
「飛行機」も「船」も「臣民」も、みな同じぞ。
足元に気つけて呉れよ。
向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ。
自分で目的達せねば、子の代、
子で出来ねば、孫の代と、
気長くかかりてゐるのざぞ。
神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。
しびれ切らすと立ち上がれんぞ。
急いではならんぞ、急がねばならんぞ。
神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。
よくこの神示(ふで)よんで呉れよ。
元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は、二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、
「二八基」には仁本の角、
「大老智」は八ツ頭、八ツ尾、
「四通足(よつあし)」は金母《こんもう=金毛>明日香》であるから気つけておくぞ。
「世通足」はお実名に通(つ)いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。
九月二十三日、
あのひつ九のか三。
日月の巻、第三帖(一七六)
此の神示、声立てて読みて下されと申してあろがな。
臣民ばかりに聞かすのでないぞ。
守護神殿、神々様にも聞かすのぞ。
声出して読みてさへおれば、よくなるのざぞよ。
じゃと申して、仕事休むでないぞ。
仕事は行であるから、務め、務めた上にも精出して呉れよ。
それがまことの行であるぞ。
滝に打たれ、断食する様な行は、幽界(がいこく)の行ぞ。
神の国のお土踏み、神国の光いきして、
神国から生れる食物(たべもの)頂きて、
神国のおん仕事してゐる臣民には、行は要らぬのざぞ。
此の事よく心得よ。
十月十九日、
一二Θ。
156>175
地つ巻、第十九帖(一五六)
世成り、
神国の太陽、足り満ちて、
皆、みち足り、
神国の月神、世をひらき足り、
弥栄にひらき、
月光、総てはみち、結び出づ、
道は極みに極む、
一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々(いやさか、いやさか)ぞ、
神、仏、耶(しん、ぶつ、や)ことごと和し、
和して足り、
太道ひらく永遠(とわ)、
富士は晴れたり、
太神は光り出づ、
神国のはじめ。
九月二十四日、
一二Θふみ。
日月の巻、第二帖(一七五)
三千年、
三千世界乱れたる、
罪やけがれを身において、
此の世の裏に隠れしまま(かれしまま《>かくれしまま、ではない>明日香》)、
此の世構ひし大神の、
みこと畏み(かしこみ)此の度の、
岩戸開きの御用する、
身魂は何れも生きかはり、
死にかはりして、練りに練り、
鍛へに鍛へし神国の、
まことの身魂、天駈けり(あま、かけり)、
国駈けります元の種、
昔の元のおん種ぞ、
今、落ちぶれてゐるとても、
軈て(やがて)は神の、御民(みたみ)とし、
天地(あめつち)駈けり、神国の、
救ひの神と現はれる、
時、近づきぬ、御民等よ。
今、一苦労二苦労(ひとくろう、ふたくろう)、
とことん苦しき事あれど、
堪へ忍びてぞ、次の世の、
まこと神代の礎(いしずえ)と、
磨きて呉れよ、神身魂(みがきてくれよ、かみ、みたま)、
いやさかつきに栄えなむ。
みたまさちはへ、ましまさむ。
旧九月二日、
ひつ九のか三。
157>174
地つ巻、第二十帖(一五七)
世界に変りたこと出来たら、それは神々様の渡られる橋ぞ。
本(もと)清めねば末(すえ)は清まらんぞ。
根、絶ちて、葉、しげらんぞ。
元の田根(たね)が大切ざぞ。
種はもとから択(よ)り分けてあるのざぞ。
ぜんぶり苦(にが)いぞ。
九月の二十四日、
ひつ九のか三。
日月の巻、第一帖(一七四)
富士は晴れたり日本晴れ。
「Θ」の巻、書き知らすぞ。
此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。
早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。
今度の大洗濯は、三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。
神の国の洗濯と、外国の洗濯と、世界ひっくるめた洗濯と、一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。
此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。
今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。
我(が)出したら判らなくなるぞ。
てんし様おがめよ。てんし様まつりて呉れよ。
臣民無理と思ふ事も、無理でない事沢山にあるのざぞ。
神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。
毀す(こわす)のでないぞ、練り直すのざぞ。
世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏ね廻し(こねまわし)、練り直すのざぞ。
日本の中に騒動起るぞ。
神の臣民、気つけて呉れよ。
日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。
小さくしたいなれど。
旧九月一日、
ひつくのか三。
158>173
地つ巻、第二十一帖(一五八)
神界(しんかい)のことは顕界(けんかい)ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ。
「一に一足すと二となる」と云ふソロバンや物差しでは、見当取れんのざぞ。
今までの戦でも、神が蔭(かげ)から守ってゐること、分るであらうがな。
「あんな者がこんな手柄立てた」と申すことあらうが、臣民からは阿房に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。
海のつなみ、気をつけて呉れ、前に知らしてやるぞ。
九月二十五日、
ひつ九のか三。
地つ巻、第三十六帖(一七三)
二二は晴れたり日本晴れ。
てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時、近づいたぞ。
富士は火の山、
火の元の山で、
汚してならん御山ざから、臣民登れんやうになるぞ。
神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが。
世の態(さま)見て、早う改心して、身魂洗濯致して、神の御用つとめて呉れよ。
大き声せんでも、静かに一言いえば分る臣民、
一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ。
今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん、だまされてゐたと申す人も出て来るぞ。
よくこの神示読んで、神の仕組、心に入れて、
息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。
分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ。
身魂芯(みたま、しん)から光り出したら、人も、神も、同じことになるのぞ。
それがまことの臣民と申してあらうがな。
山から野(ぬ)から、川から海から、何が起っても神は知らんぞ。
みな臣民の心からぞ。
改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ。
雲霧、はらひて呉れよ。
み光出ぬ様に《みひかり、いでぬように》してゐて、それでよいのか。
気つかんと痛い目にあふのざぞ。
誰れかれの別ないと申してあらうがな。
いづれは天(アメ)の日つくの神様、御かかりになるぞ。
おそし早しはあるぞ。
この神様の御神示は烈しきぞ。早う身魂みがかねば、御かかりおそいのざぞ。
よくとことん掃除せねば、御かかり六ヶしいぞ。
役員も気つけて呉れよ。
御役ご苦労ぞ。
その代り、御役すみたら二二晴れるぞ。
十月十一日、
一二か三。
(地つ巻 了)
159>172
地つ巻、第二十二帖(一五九)
われが助かろと思ふたら、助からぬのざぞ。その心われよしざぞ。
身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ。
神うつるのざぞ。
「Θ」のうつりた人と「〇」のかかりた人との大戦ぞ。
「ゝ」と「〇」とが戦して、やがては「ゝ」を中にして「〇」がおさまるのぞ。
その時は「〇」でなく、「ゝ」も「ゝ」でないのざぞ。
「Θ」となるのざぞ。
「ゝ」と「〇」のまつりぞ、と申してあらうがな。
どちらの国も潰れるところまでになるのぞ。
臣民同士は、もう戦(いくさ)かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなるのぞ。
「〇」の世となるのぞ、
「〇」の世界となるのぞ。
今の臣民、九分通り「〇」になりてゐるぞ。
早う戦すませて呉れと申してゐるが、今夜明けたら《いま、よ、あけたら>今、夜が明けてしまったら>明日香》、臣民九分通りなくなるのざぞ。
お洗濯第一ざぞ。
九月の二十六日、
ひつ九のか三。
地つ巻、第三十五帖(一七二)
日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな。
日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして、喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて、何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのが、この方の願ひと申してあらうがな。
今に日本の国の光、出るぞ。
その時になりて改心出来て居らぬと、臣民は苦しくて、日本のお土の上に居れんやうになるのぞ。
南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時、近づいたぞ。
お土の上り下りある時、近づいたぞ。
人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変りたことは、皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。
身魂みがくにはまつりせねばならんぞ。
まつりはまつらふことぞ、と申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り、元ぞ。
神迎えねばならんぞ。
とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ。
千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ。
隠し立ては出来んぞ。何もかも帳面にしるしてあるのざぞ。
神の国に借銭ある臣民は、どんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ。
家は家の、国は国の借銭済し(なし)がはじまってゐるのぞ。
済(す)ましたら気楽な世になるのぞ。
世界の大晦日(おおみそか)ぞ。みそかは闇、ときまって《決まって》ゐるであらうがな。
借銭(かり)返すとき、つらいなれど、返したあとの晴れた気持、よいであらうが。
昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて、神の申すこと、さすことに従って、【さすこと=神が臣民に指図する事。その指示により、臣民が「させられる」事。>明日香】
日本は日本のやり方に返して呉れよ。
番頭どの、
下にゐる臣民どの、
国々の守護神どの、
外国の神々さま、人民どの、
仏教徒も、キリスト教徒も、すべての「徒」も、みな聞いて呉れよ。
その国その民のやり方、伝へてあらうがな。
九十に気つけて用意して呉れよ。
十月十日、
ひつ九のか三。
160>171
地つ巻、第二十三帖(一六〇)
この神示、心で読みて呉れよ。
九エたして《声、出して?>明日香》読みて呉れよ。
病も直るぞ。
草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。
この道広めるには、教会のやうなもの、つとめて呉れるなよ。
まとゐ《まとい=集い?>明日香》を作りて呉れるなよ。
心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ。
世界中の臣民、みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。
神も人も一つであるぞ。
考へてゐては何も出来ないぞ。
考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ。
考へは人の迷ひざぞ。
今の臣民、身魂くもりてゐるから、考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。
一九れ(ひくれ)を気つけて呉れよ。日暮れよくなるぞ。
日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ。
一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。
「Θ」のくれのことを申すのざぞ。
九月の二十八日、
ひつ九のか三。
地つ巻、第三十四帖(一七一)
神は言波ぞ。
言波とはまことぞ、
いぶきぞ、
道ぞ。
まこととは、まつり合はした息吹ぞ。
言葉で天地、にごるぞ。
言波で天地、澄むぞ。
戦なくなるぞ。
神国になるぞ。
言波ほど結構な恐いものないぞ。
十月十日、
あめの一二か三。
161>170
地つ巻、第二十四帖(一六一)
この方、明神(みょうじん)とも現はれてゐるのざぞ。
臣民守護の為めに現われてゐるのであるぞ。
衣(ころも)は「くるむもの」であるぞ。
くるむとは、まつらふものぞ。
神の衣は人であるぞ。
汚れ(けがれ)破れた衣では、神はいやざぞ。
衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ。
暑さ寒さ防げばよいと申す様な、簡単なものではないぞ。
今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。
悪神の衣ばかりぞ。
今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ。
「Θ」の国、霊の国とこの世とは「合せ鏡」であるから、この世に映って来るのざぞ。【明日香>「合わせ鏡」は、水鏡(みずかがみ)でないといけないそうです。一般的な鏡だと、左右が逆に写ってしまうから!これが水鏡だと、左右がそのままに写るから、だそうです。】
臣民、身魂洗濯して呉れと、くどう申してあらうがな。
この道理よく分りたか。
十月とは十(かみ)の月ぞ。
「一」と「|」との組みた月ぞ。
九月の二十八日、
ひつ九のか三。
地つ巻、第三十三帖(一七〇)
エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ。
その前に、仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。
「宝持ちくさり《たから、もちくさり=宝の持ち腐れ>明日香》」にして呉れるなよ。
「猫に小判」になりて呉れるなよ。
天地一度に変ると申してあること、近づいたぞ。
世は持ちきり《餅切(もちきり)??>明日香》にはさせんぞよ。
息吹き(いぶき)払ひて、議論(ろん)なくするぞ。
「こと」なくするぞ。
物、言はれん時、来るぞ。
臣民、見当とれんこと、と申してあらうが。
上の人つらくなるぞ。
頑張りて呉れよ。
十月八日、
ひつ九のか三。
162>169
地つ巻、第二十五帖(一六二)
新しくその日その日の生まれ来るのぞ。
三日は三日、十日は十日の神どの、守るのざぞ。
「時の神」ほど結構な恐い神、ないのざぞ。
この方とて時節にはかなはんこと、あるのざぞ。
今日なれば、九月の二十八日であるが、旧の八月十一どのを拝みて呉れよ。二十八日どのもあるのざぞ。
何事も、時、待ちて呉れよ。
炒豆(いりまめ)にも花咲くのざぞ。
この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ。
時は神なりぞ。
何事もその時節来たのざぞ。
時過ぎて種蒔いても、お役に立たんのであるぞ。
草物いふぞ。
旧の八月の十一日、
ひつ九のか三。
地つ巻、第三十二帖(一六九)
仕組通りに出て来るのざが、大難を小難にすること出来るのざぞ。
神も泥海は真っ平ぞ。
臣民喜ぶほど、神うれしきことないのざぞ。
曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ。
うづであるのぞ。
番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。
十月の七日、
ひつ九のか三。
163>168
地つ巻、第二十六帖(一六三)
雨の日は傘いるのざと申して、晴れたら要らぬのざぞ。
その時その時の御用あるのざぞ。
晴れた日とて、傘いらぬのでないぞ。
今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ。
二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、
五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ。
十柱の御役もその通りざぞ。
役変るのぞ。
旧八月の十二日、
ひつ九のか三。
地つ巻、第三十一帖(一六八)
この神示読ますやうにするのが役員の務めでないか。役員さへ読んでゐないではないか。
神示に一二三(ひふみ)つけたもの、先づ大番頭、中番頭、小番頭どのに読まして呉れよ。
道さへつければ読むぞ。
腹に這入るもの(はいるもの)と、這入らぬものとはあるなれど、読ますだけは、読ませてやるのが役員の勤めでないか。
旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。
いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ。
餅搗く(もち、つく)には、搗く時あるのざぞ。
それで縁ある人を引き寄せてゐるのざぞ、神は急けるのぞ。
十月の七日、
ひつ九のか三いそぐ。
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地つ巻、第二十七帖(一六四)
天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ。
びっくり箱あけたら、臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ。
早う洗濯した人から分るのぞ。
びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ。
目あけて居れん人、出来るぞ。
神の規則は、日本も支那も、印度もメリカも、キリスもオロシヤもないのざぞ。
一つにして、規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。
学の世はもう済みたのぞ。
日に日に神力《かむ、ちから>明日香》あらはれるぞ。
一息入れる間もないのぞ。
ドシドシ事を運ぶから、遅れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。
神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう(しくみはりゅうりゅう)仕上げ、見て下されよ。
旧九月になれば、この神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ。
初めの役員、それまでに引き寄せるぞ。
八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者、引き寄せるぞ。
おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
おけ。【←おけ、ってオッケーのこと????>明日香《←そうですよ(^^)>どなたか=名を名乗らない神様》】
十月の四日、
ひつ九のか三ふみ。
地つ巻、第三十帖(一六七)
一度に立替へすると、世界が大変が起るから、延ばし延ばしてゐるのざぞ。
目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。
国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、
けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、神が表に出て世界中救ふのであるぞ。
この神示、腹に入れると神力出るのざぞ。
疑ふ臣民沢山あるが、気の毒ざぞ。
一通りはいやがる臣民にもこの神示、一二三(ひふみ)として読むやうに、上の人してやりて下されよ。
生命あるうちに神の国のこと知らずに、死んでから神の国に行くことは出来んぞ。
神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、上の番頭どの分かりて居らうがな。
何うにもならんと知りつつ、まだ智や学にすがりてゐるやうでは、上の人とは申されんぞ。
智や学越えて神の力にまつはれよ。
お土拝みて米作る百姓さんが、神のまことの民ぞ。
神おろがみて神示取れよ。
神のない世とだんだんなりておろがな。
真通る(まつる)ことは生かす事ぞ。
生かす事は能かす(はたらかす)事ぞ。
神の国には、何でも、ないもの、ないのざぞ。
神の御用なら何でも出て来る、結構な国ぞ。
何もなくなるのは、やり方わるいのぞ。
神の心に副はん《そわん>添はん?=そわない、そぐわない>明日香》のぞ。
十月七日、
一二Θ。
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地つ巻、第二十八帖(一六五)
神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあらうがな。
戦もその通りぞ。
外国のやり方、真似ては(まねては)、外国強いのざぞ。
戦するにも身魂みがき第一ぞ。
一度に始末することは易いなれど、それでは神の国を一度は丸つぶしにせねばならんから、待てるだけ待ってゐるのざぞ。
仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん、苦しいことになりて来るぞ。
神気つけるぞ。
十月六日、
ひつくのか三。
地つ巻、第二十九帖(一六六)
天明は神示書かす御役ぞ。
蔭の役ぞ。
この神示は「ア」と「ヤ」と「ワ」のつく役員から出すのざぞ、おもてぞ。
旧九月までにはその御方お揃ひぞ。
「カ」のつく役員、うらなり。
「タ」のつく役員、おもてなり。
うらおもてあると申してあらうがな。
コトが大切ぞ、コトによりて伝へるのが、神はうれしきぞ。
文字は通基(つき)ぞ。
このことよく心得よ。
天の異変は人の異変ぞ。
一時は神示も出んことあるぞ。
神示よんで呉れよ。
神示よまないで、臣民勝手に智恵絞りても、何にもならんと申してあらうがな。
神にくどう申さすことは、神国の臣民の恥ぞ。
神示は要らぬのがまことの臣民ぞ。
神それぞれに宿りたら、神示要らぬのざぞ。
それが神世の姿ぞ。
上に立つ人に、この神示、分るやうにして呉れよ。
国は国の、団体(まとひ)は団体(まとひ)の上の人に、早う知らして呉れよ。
「ア」と「ヤ」と「ワ」から表に出すと、上の人も耳傾けるのざぞ。
「ア」とはアイウエオぞ。
「ヤ」も「ワ」も同様ぞ。
「カ」はうらぞ、「タ」はおもてぞ。
「サ」と「ナ」と「ハ」と「マ」と、まつはりて呉れよ。
「ラ」は別の御役ぞ。
御役に上下ないぞ。みなそれぞれ貴い御役ぞ。
この神示、上つ巻と下つ巻、先づ読みて呉れよ。
腹に入れてから神集ふ(かむつどふ)のぞ。
神は急けるぞ。
山の津波(つなみ)に気つけよ。
十月の七日、
七つ九のか三。