まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示

下つ巻、第二十七帖(六九)に、「よむたび毎に神が気つける様に、声出して、よめばよむだけお蔭あるのぞ。」とあります。従いましてこちらのブログでは、選挙カーのアナウンス原稿や、演説原稿の様な、声に出して読みやすい。そんなレイアウトを目指してます(^^)。ブースカ明日香

まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示・271〜300

いよいよ、水の巻にあります、各種祝詞の紹介がスタートします!

なお「水の巻」は、ここのみで完結します。》

 

ひふみ神事は難しい/(^o^)\

とか

わからない|( ̄3 ̄)|・・・

なんて言ってはなりませぬ。それは良く読んでいない証拠。

答えは全て「神示に書いてある」のだから。

なので!

「いっぺん読んだだけ」ではわからない。

この際、何度でも、順番どおりに、まぜまぜに読んでみよう!p(^_^)q

このように考え直しませう。

ブースカ明日香( ^ω^ )

 

ひふみ神示、第九巻

キの巻、全十七帖

通し番号(二五八)帖~(二七四)帖

自 昭和二十年一月二十九日

至 昭和二十年三月二十日

ひふみ神示、第十巻

水の巻、全十七帖

通し番号(二七五)帖~(二九一)帖

自 昭和二十年 旧三月十日

(=昭和二十年四月二十一日)

参照=旧暦カレンダー(1945年4月)| アラク

https://www.arachne.jp/onlinecalendar/kyureki/1945/4/

至 昭和二十年六月二十三日

ひふみ神示第十一巻

松の巻・全二十九帖

通し番号(二九二)帖~(三二〇)帖

自 昭和二十年六月十七日

至 昭和二十年七月十九日

271>300

キの巻、第十四帖(二七一)

三月三日から、更に厳しくなるから、用意しておけよ。

五月五日から、更に更に厳しくなるから、更に用意して、何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ。

心違ふてゐるから、臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ。

九月八日の仕組、近ふなったぞ。

この道はむすび。

ひふみとひらき、

みなむすび。

神々地に成り、

悉く弥栄へ【ことごとく、いやさかえ】、

戦争(いくさ)つきはつ【尽き果てる>明日香】大道ぞ。

一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ。

その時になって、「おかげ」落さん様にして呉れよ。

神の仕組、愈々世に出るぞ。

三千年の仕組、晴れ晴れと、

富士は晴れたり日本晴れ。

桜花、一二三(ひふみ)と咲くぞ。

三月十七日、

ひつぐの神。

 

松の巻、第九帖(三〇〇)

悪のやり方は、始めはどんどん行くなれど、

九分九厘でグレンぞ。

善のやり方、始め辛いなれど、

先行く程よくなるぞ。

この世に何一つ「出来ん」と云ふことない、此の方のすることぞ。

云ふ事聞かねば、「きく様にして」きかすぞ。

因縁だけのことは、どうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ。

ここの役員は皆、因縁ミタマばかり、

苦労しただけお蔭あるぞ。

六月二十四日、

あめのひつ九のかみしるす。

【明日香より>「聞くようにして、聞かす。」とあります。どのように?という疑問は、すぐに解決しますね(^◇^;)。「その耳、取り替える」。さすが、創造主は、スケールが違うなぁ(^_^;)

あさりより>これまで人には聞こえてなかった私たちの声が聞こえるようになる。それと、テレパシーが使えるようになる。取り替えるとは、そういう意味ですよ。(╹◡╹)】

 

272>299

キの巻、第十五帖(二七二)

誠(まこと)申すと耳に逆らうであろが、其の耳、取り替へて了ふぞ。

我れに判らん「メグリ」あるぞ。

今度は親子でも夫婦でも、同じ様に裁く訳(わけ)には行かんのざ。

「子が天国で親地獄」と云ふ様にならん様にして呉れよ。

「一家」揃ふて、「天国身魂」となって呉れよ。

「国」皆揃ふて神国となる様、つとめて呉れよ。

メグリは一家、分け合って、

国中分け合って

借金なしにして下されよ。

天明、代りに詫(わび)してくれよ。

役員、代りて詫びして呉れよ。

この神示、肚に入れておれば、何んな事が出て来ても胴(どう)すわるから心配ないぞ。

あななひ、元津神々

人の世、ひらき和し、

悉くの神、人みつ道、【原書では「神人みつ道」>あさり】

勇み出で、

総てはひふみひふみとなり、

和し勇む大道。

三月十九日、

ひつ九の神。

 

松の巻、第八帖(二九九)

神の国には、昔から「神の民」より住めんのであるぞ。

幽界(がいこく)身魂は、幽界(がいこく)行。

一寸の住むお土も、神国にはないのざぞ。

渡れん者が渡りて、穢して仕舞ふてゐるぞ。

日本の人民、大和魂、何処にあるのざ。

大和魂とは「神と人と解け合った姿」ぞ。

戦、いよいよ烈しくなると、

「日本の兵隊さん」も、これは叶はんと云う事になり、【あさりより>「日本の兵隊さん」とは、島国、日本のみならず、世界中の兵隊さんを指します。全ての軍隊は、裏で繋がっており、対立は見せかけ、なのですから!】

「神は此の世にいまさん【神などいない、という意味>あさり】」と云ふ事になって来るぞ。

それでどうにもこうにもならん事になるから、早よう神にすがれと申してゐるのぞ。

「誠」で、すがれば、その日からよくなるぞ。

「神力【かむちから】」現れるぞ。

今度の建替は、此の世初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。

世界隅々まで掃除するのであるから、

どの家もどの家も、

身魂も身魂も

隅々まで生き神が改めるのざから、

辛い人民、沢山出来るぞ。

「ミタマの神」がいくら「我」張っても、

人民に移っても、

今度は何も出来はせんぞ。

「世の元からの生神」でない事には、出来ないのであるぞ。

それで素直に云う事聞けと、くどう申すのぞ。

今度は、神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。

臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。

戦の手伝位【いくさのてつだいくらい】、誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。

赤いものが赤い中にゐると、色無いと思ふのぞ。

気付けて呉れよ。

悪神の守護となれば、自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。

悪も改心すれば、助けてやるぞ。

海の御守護は「竜宮のおとひめ様」ぞ。

海の兵隊さん、「竜宮のおとひめ殿」まつり呉れよ。

まつわり呉れよ。

「竜宮のおとひめ殿」の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。

朝日輝る、夕日たださす所に、宝いけておいてあるぞ。

宝、愈々世に出るぞ。

人民の改心、第一ぞ。

顔は今日でも変るぞ。

民の改心、なかなかぞ。

六月二十三日、

アメのひつ九のかみ。

【明日香より>「竜宮の乙姫様」については、次の記事を参照されたし(^◇^;)。神代ってどうよ?(1)・ガイアに代わって、おしおきよ! - スピリチャル9条の会〜〜boosuka-asuka’s blog http://boosuka-asuka.hatenablog.com/entry/2018/01/27/184442。こちらに出ていらっしゃる方は「とよたまちゃん」です。

そして、彼女の妹さんである「たまよりひめさま」が、「竜宮の乙姫様」です(^^)。】

 

273>298

キの巻、第十六帖(二七三)

元津神代の道は満つ、

一時は闇の道、

ひらき極み、

富士の代々、

鳴り成るには弥栄に変わり

和すの道、

道は弥栄。

ひふみ道出で睦び、

月の神、足り足りて成り、

新しき大道みつ。

神々みち、

ゑらぎ百千万【ももちよろず】のよきこと極む。

いよいよとなり、

何も彼も百千【ももち】とひらき、

道栄え、道極み、進み、

道極み、「真理の真理」極む。

元の光の神々ゑらぎ、

更に進む世、

和合まずなりて百の世(もものよ)、極みなる。

世に光る神々の大道、

神々ことごとにゑらぎて

大道いよいよ展き進みて、

大真理世界の三つは一と和し、

鳴り成りて、始めて、

まことの愛の代、極み来る、

弥栄の代の神、人、

「神人」わけへだてなく光り輝き、

道は更に極みの極みに進み動き、

ありとある、ことごとくの成り結び、

更に新しく、更に極むるの大道、神代歓喜の代々。

三月二十日、

ひつ九の神。

 

キの巻、第十六帖(二七三)原文

Θ四三〇百一四八三八九二二四四七七「🌀」二八八五十三三〇「🌀」

一二三五六二十十十七一三三

ΘΘ三「🌀」百十卍一千九九三一四一四十七「🌀」七二百百千八千八三三九「🌀」三九二二九一「🌀」ノ九Θ〇「🌀」八四〇五〇一七百四九七「🌀」四二一ΘΘ三Θ二九八三「🌀」「🌀×🌀」三二四三七「🌀×🌀」一「猫の目」二「🌀」四九四〇九十ノ四二一Θ三Θ四二一Θ三〇「🌀」ノ百ノ七一ノ三Θ四三一四四

三かつ二十か ひつ九か三

 

松の巻、第七帖(二九八)

偉い人、皆俘虜(みな、とりこ)となるぞ。

夜明け、近くなったぞ。

夜、明けたら、何もかもはっきりするぞ。

夜明け前は闇より暗いぞ。

慌てるでないぞ。

神の国、一度負けた様になって、終ひには勝ち、

また負けた様になって、勝つのざぞ。

腹の中の「ゴモク」、一度に引張り出してもならぬし、

出さねば間に合わんし、

いよいよ荒事にかかるから、そのつもりで覚悟よいか。

わからん人民、退いて、邪魔せずに見物してござれよ。

六月二十三日、

アメのひつ九のΘ。

 

274>297

キの巻、第十七帖(二七四)

すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから、一人逃れ様とて【ひとり、のがれよう、とて】のがれる事、出来んのざぞ。

逃れようとするのは、我れよしざぞ。

今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな。

急ぐでないぞ。

其の御用すみたら、次の御用にかからすのざから、

この世の悪も善も、皆御用と申してあろが。

身魂相当の御用、致してゐるのざぞ。

「仕事」し乍ら【しごと、しながら】「神示」肚に【はらに】入れて行けば、「仕事」段々変るのざぞ。

「神示」声立てて読むのざと申してあること、忘れるなよ。

その上で、人に此の「道」、伝へてやれよ。

無理するでないぞ。

「我」捨てて、大き息吹き【おおき、いぶき】にとけるのざぞ。

神の息吹きにとけ入るのざぞ。

『御みいづ』にとけ入るのざぞ。

愈々【いよいよ】「神示【ふで】」一二三(ひふみ)となるぞ。

一二三とは息吹ぞ。

みみに知らすぞ。

云はねばならぬから

一二三として、息吹きとして知らすぞ。 

「神示」よく読めば分ることぞ。

「神示」読めよ。

よむと「神示」出るぞ。

此の巻は「キの巻」と申せよ。

富士は晴れたり「㊉(せかい)」ばれ。

岩戸あけたり「㊉」ばれぞ。

三月二十日、

ひつ九の神。

(キの巻  了)

【明日香より>「世界」を表す記号、「㊉」は、「まるじゅう」で変換。丸に十の字、薩摩・島津家の家紋でもありますね。この部分、他の絵文字や、コード番号などになっていたら、御免なさい (^-^;】

 

松の巻、第六帖(二九七)

今の世に出てゐる「守護神」、

「悪神」を天の神と思ってゐるから、なかなか改心むつかしいぞ。

今迄の心、すくりとすてて

「生れ赤子」となりて下されと申してあろが。

早よ改心せねば、間に合はん。

残念が出来るぞ。

この「神示」、わからんうちから、わかりておらんと、

分りてから、分りたのでは、人並ざぞ。

「地の規則」、「天の規則」となる事もあるのざぞよ。

六月二十二日、

アメのひつ九のかみふで。

 

275>296

水の巻、第一帖(二七五)

三Θ(みず)の巻、書き知らすぞ。

見渡す限り、雲もなく

富士は晴れたり、日本晴れ、

海は晴れたり、日本晴れ、

港々に【みなとみなとに、ではなくて、みなみなに>どなたか?より】

『日の丸の旗』翻る【ひのまるのはた、ひるがえる】神の国

それ迄に、云ふに云はれんことあるなれど、頑張りて下されよ。

道も無くなるぞ。

てん詞様、おろがみてくれよ。

てん詞様は「神」と申して、知らしてあろがな。

まだ分らんか。

「地(くに)の神」大切せよと聞かしてあろが。

神様に「お燈明(おあかし)」ばかり備へては、まだ足らぬのぞ。

「お燈明」と共に「水」捧げなならんのざぞ。

「火」と「水」ぞと申してあろ。

「神示」よく、裏の裏まで読みて下されよ。

「守護神殿」、祭りて呉れよ。

まつはらねば、「力【ちから】」現はれぬぞ。

「守護神殿」は拍手【かしわで>あさり】四つ、打ちて、おろがめよ。

元の生神様には「水」がどうしてもいるのざぞ。

「火」ばかりでは、「力(ちから)」出ぬのざぞ。

わかりたか。

曇りなく、空は晴れたり。

旧三月十日、

三のひつ九Θ。

【あさりより>おのおのの港に「日の丸」の旗がひるがえる、とありますね。この場合の日の丸は、白地に赤の、現行「ニッポン国旗」ではありません。

そしてこの「ニッポン国旗」は『破壊、破滅の象徴』なのです。

したがって、本来の日の丸は、以下の通りとなります。

「丸は緑色」、「地球=ガイア」も、「月」も、「太陽」も、本物は「緑色」なのです。

ですから、火と水を象徴する『赤地に緑の日の丸』の旗が、世界の港にひるがえります。(╹◡╹)】

 

松の巻、第五帖(二九六)

「この先どうしたらよいか」と云ふ事は、世界中、金の草鞋(かねのわらじ)で捜しても(さがしても)、九九より他(ここよりほか)分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。

手取りて、よき方に廻してやるぞ。

神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが。

もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。

「金」もの云ふ時から、

「物」もの云ふ時、来るぞ。

「誠」もの云う時、来るぞ。

「石」もの云ふ時、来るぞ。

六月二十一日の朝、

アメのひつ九のかみ神示。

【あさりより>「物」がもの云う、とは?

全ての「物」は、一定期間存在するうちに「意識」を持ちます。これが「九十九神(つくもがみ)」。つまり、周りにある全ての物(=存在)は、「九十九神さん」として、私たちと意思疎通できるようになるのです。

ちなみに「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」として描かれているのは「付喪神(つくもがみ)」となりますが、こちらも「九十九神」には違いありません。

神代では、付喪神たちも全て、美しき存在へと生まれ変わるのです。(╹◡╹)

そして、全てが「誠か否か?」によって判断されます。

九十九神さん達にこの様な判断をされてしまうと、戦争や殺人、スパイなどはできなくなります。ですから相手は、常に(高価な)新品を用意し、それを供給し続ける。一方で、九十九神になりそうな古いものは、次々と手放す、捨ててしまうように仕向ける。

今のような世界を作り上げてきたのです。

以上(╹◡╹)

 

明日香より>神戸の友人は「ストーンヒーリング」を行ってます。彼女から聞いた話によりますと、「石は、話す相手を選ぶ」のだそうです。石が「この人は嫌だ」と判断してしまったら、何があっても心を開いてくれないそうです。

この話を聞いて、「あゝそうか。よし、石に認めてくれるような人間になるように、自分を磨こう!」と決意しました。(^^;; 

もう一つ。私の身体の歪みをただしてくださってる治療師(整体師)さんから聞いた話し。数珠を腕にはめたりすることでも、身体全体が歪むのだそうです。神代になれば、その辺の真実も、誰もが知る常識となるでしょう。

そしてさらに治療師さんが、水晶などの「石さん」そのものの意識を感じたところ、彼らは、丸く削られたり、数珠として連なったりする事自体を嫌がっている、とおっしゃってました(・・;)。以上。】

 

276>295

水の巻、第二帖(二七六)

ひふみ、

よいむなや、

こともちろらね、

しきる、

ゆゐつわぬ、

そをたはくめか、

うおえ、

にさりへて、

のますあせゑほれけ。

一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。

たかあまはらに、

かむつまります、

かむろぎ、

かむろみのみこともちて、

すめみおや

かむいざなぎのみこと、

つくしのひむかのたちばなの

おどのあはぎはらに、

みそぎはらひたまふときになりませる、【みそぎはらいたもう時になりませる>読み方>明日香】

はらえとのおほかみたち、【はらえどのおおかみたち>読み方>明日香】

もろもろのまがこと、つみけがれを、

はらえたまへ、きよめたまへと

もおすことのよしを、

あまつかみ、

くにつかみ、

やほよろづのかみたちともに、

あめのふち、こまのみみ、ふりたててきこしめせと、

かしこみかしこみ、もおす。

あめのひつくのかみ、

まもりたまへさちはへたまへ、

あめのひつくのかみ、

やさかましませ、

いやさかましませ、

一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ)。

旧三月十日、

三のひつ九か三。

 

【ここで祝詞を奏上する時の注意点を二つ、あげておきます。

一つ目は、わたしが必死になって祝詞を覚えている時、守護神さんたちに何度も言われたことです。

それは「申す・白す」は、「もうす」と発音しなさい!でした。

なぜなら、神主さんが奏上する祝詞のように「も、まおす」とか「ま、もうす」と言葉を発してしまうと、それまで唱えた祝詞の「ことほぐ(賀ぐ・寿ぐ)」意味を全て打ち消した上で、この祝詞は「悪魔が奏上しました」という意味に転換させてしまうことになるから、だそうです。

実際、『ある意図を持って』変換してみたら「魔、もうす」だとか「も、Maoす【Mao=“イランカラプティ”や、ブログ、“碧い世界”で紹介されていた、悪魔の大王であったとされる、最高次元の「魔導師=今は真導師(まどうし)」の名前。】」となりますよね(^^;;。

二つ目は、実際「祝詞」を奏上している途中で、かんでしまったり、順番や言葉を間違えてしまったとしても、その時の流れを途切らせないために、最後まで宣りあげなさい、ということです。

失敗を恐れず、何度も祝詞を奏上するうちに、ごく普通に奏上することができるようになります。

そしてそれらの失敗は、良き思い出となるのです( ^ω^ )

以上、ブースカ明日香

12月12日(水)17:53】

 

松の巻、第四帖(二九五)

幾ら「誠【まこと】」申しても、

「まこと」は咽喉【のど】へつかへて呑み込めぬから、

「誠」の所へは、人民なかなか集まらんなれど、

今度の御用は、臣民、沢山は要らんぞ。

何もかも、神が仕組みてゐるのざから、

人民、仕様とて【しようとて】何も出来はせんぞ。

神の気概に叶はん【かみの“きがい”にかなわん】人民は、地の下に【ちのしたに】なるのざぞ。

「神示」わからねば、一度捨てて見るとわかるのざぞ。

六月二十日、

アメのひつ九のかミ。

 

277>294

水の巻、第三帖(二七七)

神の子は「神」としての自分【自分を>明日香】養ふ(やしなう)ことも、つとめの一つであるぞ。

「取違ひ」すると大層な事になるから、気つけておくぞ。

書かしてある「御神名」は「御神体」として祭りてもよく、

「お肌守」としてもよいぞ。

皆に多く分けてやれよ。

「御神名」いくらでも書かすぞ。

その用意、しておいてくれよ。

神急ぐぞ。

『祓え祝詞』書き知らすぞ。

かけまくもかしこき、

いざなぎのおほかみ、

つくしのひむかの、たちばなの

おとの【小戸の=おどの>あさり】あはぎはらに、

みそぎはらえたまふときになりませる、

つきたつふなどのかみ、

みちのなかちはのかみ、

ときおかしのかみ、

わつらひのうしのかみ【わずらいの、うしの神>あさり】、

ちまたのかみ、

あきくひのうしのかみ【あきくいの、うしの神>あさり】、

おきさかるのかみ、

おきつなぎさびこのかみ【沖つ、なぎさびこの神>あさり】

おきつかひへらのかみ、

へさかるのかみ、

へつなぎさひこのかみ【辺つ、なぎさびこの神>あさり】、

へつかひへらのかみ、

やそまがつひのかみ、

おほまがつひのかみ、

かむなほひのかみ、

おほなほひのかみ、

いづのめのかみ、

そこつわたつみのかみ、

そこつつのおのかみ【底筒の男の神>あさり】、

なかつわたつみのかみ、

なかつつのおのみこと【中筒の男の命>あさり】、

うわつわたつみのかみ、

うわつつのおのみこと、

はらえと四はしらのかみたちともに【祓戸(はらえど)よはしらの神たち共に>あさり】、

もろもろのまがこと、 

つみけがれを

はらえたまへ、きよめたまへと「もおすことを、きこしめせ」と、

かしこみかしこみ、もおす。

次に「うけひ【誓ひ>あさり】」の言葉しらすぞ。

ご三たいのおほかみさま、

ご三たいのおほかみさま、

「ひつきのおほかみ」さま、

「くにとこたちのおほかみ」さま、

「とよくもぬのおほかみ」さま、

「つきのおほかみ」さま、

「すさなるのおほかみ」さま、

「あめのかみ」さま、 

「かぜのかみ」さま、

「いわのかみ」さま、

「キのかみ」さま、

「かねのかみ」さま、

「ひのかみ」さま、

「ひのでのかみ」さま、 

「りゅうぐうのおとひめ」さま、

「やほよろづのいきかみ」さま、

ことに、いすずにます、

「てんしょうこうだいじんぐう」さま、

「とようけのおほかみ」さまをはじめたてまつり、

よのなかの「いきかみ」さま、

「うぶすなのおほかみ」さまの、おんまへに、

ひろきあつきごしゅごのほど、

ありがたく、

とうとく、

おんれいもうしあげま す。

このたびのいわとひらきには、

千万【ちよろず】いやさかのおはたらき、

ねがひあげます。

あめつちのむた、

いやさかに、

さかへまさしめたまひ、

せかいのありとあるしんみん【世界のありとある臣民>明日香】、

ひとひもはやく【一日も早く>明日香】、

かいしんいたしまして、

「おほかみさま」のみむねにそひまつり、

「おほかみさま」のみこころのまにまに、

かみくに、じょうじゅのため、はたらきますよう、

おまもりくださいませ、

そのため、この「たま」、この「み」は、なにとぞ、いかようにでも、おつかひくださいませ、

みむねのまにまに、

まことの「かみくに」のみたみとしてのつとめを、

つとめさしていただくよう、

むちうち、ごしゅごくださいませ、

かむながらたまちはへませ、

いやさかましませ。

 次に「御先祖様の拝詞【ごせんぞさまの、はいし>明日香】」しらすぞ。

此の「祖霊宮」に(これの「みたまや」に)

神鎮まり坐す(かみ、しづまります)。 

遠津祖神(とおつ、みおやのかみ)、 

代々の「祖霊神」達の御前(よよの「おやがみ」たちのみまえ)、

また「親族家族」の『霊祖神』の御前に(又、「うから、やから」の『みたま』のおんまえに)

謹み敬ひも白す(つつしみ、うやまひ、もおす)。 

此の家内には、諸々の曲事(これのうちには、もろもろのまがこと)、

罪穢あらしめず(つみ、けがれ、あらしめず)、 

夜の護り、日の守りに守り幸はひ給ひ(よのまもり、ひのまもりに、まもりさきわひたまひ)、 

まこと「神国」の「み民」としての義務を全うせしめ給へ(まこと「かみくに」の「みたみ」としてのつとめをまっとうせしめたまへ)、 

夜の護り、日の守りに守り(よのまもり、ひのまもりにまもり)、 

捧ぐるものの絶間無く(ささぐるもののたままなく)、 

子孫の弥栄継ぎに栄えしめ給へと(うみのこのいやさか、つぎにさかえしめたまへと)

畏み畏みも白す(かしこみかしこみ、もおす)、

惟神霊神幸はへませ(かむながら、たまちさきはへませ) 

惟神霊神幸はへませ(かむながら、たまちさきはへませ)。

一本の草でも、干して貯へておけよと申してあろがな。

四月二十三日、

三の一二のか三。

 

松の巻、第三帖(二九四)

神烈しく、人民静かにせよ。

云ふた事、必ず行はねばならんぞ。

天から声あるぞ、

地から声あるぞ。

身魂磨けばよくわかるのざぞ。

旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。

残る心、獣ぞ。

神とならば、

食ふ事も

着る事も

住む家も

心配なくなるぞ。

日本晴れとはその事ざぞ。

六月十九日、

あめのひつ九のかみ。

 

278>293

水の巻、第四帖(二七八)

お宮も土足にされる時が来る。

おかげ落さん様に気付けよ。

勲章も何んにもならん時が来る。

まこと一つに頼れ、人々。

二十四日、

三の一二か三

 

松の巻、第二帖(二九三)

神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。

臣民、無くなるぞ。

残る臣民、三分むつかしいぞ。

三分と思へども、二分であるぞ。

邪魔せん様に。

分らん臣民、見物して御座れ。

ここまで知らして眼覚めん臣民なら、手引いて、見てゐて御座れ。

見事、仕上げて見せるぞ。

雀ちうちう烏かうかう【スズメちゅんちゅん、カラスかぁかぁ>明日香(^^)】。

六月十八日、

あめのひつ九か三。

 

279>292

水の巻、第五帖(二七九)

外国のコトは無くなるぞ。

江戸の仕組、旧五月五日迄に終りて呉れよ。

後はいよいよとなるぞ。

神が申した時に、すぐ何事も致して呉れよ。

時過ぎると成就せん事あるのざぞ。

桜花、一時に散る事あるのざぞ。

いよいよ「松の世」と成るぞ。

万劫(まんごう)変らぬ「松の世」と成るぞ。

松の国、松の世、結構であるぞ。

この神示、声出して、読みあげてくれよ。

くどう、申してあろがな。

言霊(ことだま)高く読みてさえおれば、結構が来るのざぞ。

人間心、出してはならんぞ。

五月一日、

三(みづ)のひつ九のかみ。

 

松の巻、第一帖 (二九二)

富士は晴れたり世界晴れ。

三千世界、一度に晴れるのざぞ。

世の元の、一粒種の世【よのもとの、ひとつぶだねのよ>明日香】となったぞ。

「松の御代」となったぞ。

世界ぢうに【世界中に>明日香】揺すりて、眼、覚ますぞ。

三千年の昔に返すぞ。

煎り豆、花咲くぞ。

上下ひっくり返るぞ。

水も洩らさん仕組ぞ。

六月十七日、

あめのひつ九のか三。

【明日香>もしかして「松本伊代」って芸名、松の御代(まつのみよ)に対する呪詛??

あさり>その名前は、彼女の本名(旧姓)、となっていますが、アイドルとして放送文化に乗り、一定のファンが付くことに意味があるのです。たとえば「おそ松君」もそう。松の代を貶めるための仕掛けのひとつ。相手の「計画」のスパンは、十年、百年、千年先を見据えていました。タイムトラベラーを部下に持ち、常に未来時空からの情報収集を行いながら、修正を加えつつ、「計画」を押しすすめてきたのですから。】

280>291

水の巻、第六帖(二八〇)

「キ」が元ぞと申してあろがな。

神国負けると云ふ心、言葉は、悪魔ぞ。

本土上陸と云ふ「キ」は、悪魔ざぞ。

「キ」大きく持ちて下されよ。

「島国」日本にとらはれて呉れるなよ。

小さい事思ふてゐると、見当取れん事になるぞ。

一たべよ。

二たべよ。

食べるには噛むことぞ。

噛むとは「かみ」ざぞ。

神にそなへてから、かむのざぞ。

かめばかむほど、神となるぞ。

神国ぞ。

神ながらの国ぞ。

かみながら仕事してもよいぞ。

「青山も泣き枯る時ある」と申してあろが。

日に千人、食殺されたら【ひに、ちひと、くいころされたら>明日香】、千五百の「産屋」建てよ【ちいもの「うぶや」、たてよ>明日香】。

かむ「いざなぎの神」のおん教ぞ。

神きらふ身魂は、臣民も厭ふぞ。

五月二日、

三のひつくのか三。

【あさりより>四国にある殺人結社の名前は「イザナギ流」と自らを名乗っています。だけどもこれ、何かおかしいと思いませんか?

日に千五百(ちいも)の産屋を建てる、と仰った神の名を、殺人結社の名前にするなど、言語道断!。

ならば「イザナミ流」と名乗れば良いのか?といえば、こちらも言語道断!!。

今現在、ガイアに蔓延る(はびこる)殺人結社は、全て無くします!。もちろん、軍隊や警察。そして忍者を含めたスパイ組織、これらも所詮「殺人結社」ですから、全て無くします。

◎エンちゃんより>「黒龍会」とか「龍神会」なんていう、暴力組織や殺人結社の名前も、僕たち龍神にとっては、ものすご〜〜く迷惑!そんなのもやめさせるからね!ϵ(^.ω^)϶】

 

水の巻、第十七帖(二九一)

「カイ」の御用は「キ」の御用であるぞ。

臣民は「ミ」の御用、つとめて呉れよ。

「キ」と「ミ」の御用であるぞ。

「ミ」の御用とは、体(からだ)の御用であるぞ。

身、養ふ正しき道

開いて伝へて呉れよ。

今迄の神示、読めばわかる様にしてあるぞ。

「キ」の御用に使ふものもあるぞ。

「キミ」の御用さす者もあるぞ。

お守りの石、どしどしさげてよいぞ。

水の巻、これで終りぞ。

六月二十三日、

三(みず)の一二Θ。

(水の巻 了)

 

281>290

水の巻、第七帖(二八一)

皆、病気になりてゐること、分らぬか。

「一二三のりと」で直してやれよ。

「神示」読みて、直してやれよ。

自分でも分らぬ「病」になってゐるぞ。

早ふ直さぬと、どうにもならんことになって来るぞ。

この宮、仮であるぞ。 

真中に「富士の山」つくり、

そのまわりに七つの山、つくりて呉れよ。

拝殿、つくり呉れよ。

「神示」書かす所、作りてくれよ。

天明、弥澄む所【いや、すむ、ところ>明日香】作りて呉れよ。

いづれも仮でよいぞ。

早ようなされよ。

「松の心」にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ。

五月四日、

みづのひつ九のか三。

 

水の巻、第十六帖(二九〇)

まだまだ御苦労あるぞ。

「たまの宮」つくりてよいぞ。

われの事言はれて、腹のたつ様な、小さい心では、今度の御用、出来はせんのざぞ。

「心、大きく持て」と申してあろがな。

六月二十日、

ひつ九のかみ。

 

282>289

水の巻、第八帖(二八二)

鎮座は【ちんざは>明日香】、六月の十日であるぞ。

「神示」書かしてまる一年ぞ。

「神示」で知らしてあろが。

それからがいよいよの「正念場」ざぞ。

「びっくり箱」あくぞ。

五月四日、

みづのひつ九のか三。

 

水の巻、第十五帖(二八九)

富士、「火」吐かぬ様、おろがみて呉れよ。

大難、小難にまつりかへる様、おろがみて呉れよ。

食物(たべもの)頂く時は、よくよく「噛め」と申してあろが。

上の歯は「火」ざぞ。

下の歯は「水」ざぞ。

「火」と「水」と、合すのざぞ。

「かむろぎ」「かむろみ」ぞ。

噛むと「力」生れるぞ。

血となるぞ、肉となるぞ。

六月十七日、

ひつ九のかみ。

【あさり>上の歯は火、下の歯は水。火と水合わせて噛む。この意味を持つ「噛め」を、『鶴と亀』へと呪詛転換していることに注意をむけましょう。もちろん、「鶴と亀」には、神様からのメッセージも込められていますから、両方を明らかにすることが重要です。(╹◡╹)】

 

283>288

水の巻、第九帖(二八三)

富士は晴れたり、日本晴れ、

いよいよ「岩戸」開けるぞ。

お山開き、まこと結構。

「松の国」、「松の御代」となるぞ。

旧九月八日から、「大祓ひのりと」に「天津祝詞」の太のりと『一二三(ひふみ)のりとコト』入れて、のれよ。

忘れずに、のれよ。

その日からいよいよ、「神」は「神」、「けもの」は「けもの」となるぞ。

江戸道場、やめるでないぞ。

「お山」へ移してよいぞ。

役員、一度やめてよいぞ。

またつとめてよいぞ。

めぐりあるから、心配あるのぞ。

めぐり無くなれば、心配なくなるぞ。

心配ないのが、「富士は晴れたり」ぞ、

「富士晴れ」、結構ぞ。

日津久の御民、何時も【ひつくのみたみ、いつも>明日香】「富士晴れ心」でおりて下されよ。

肉体、ちっとの間であるが、「魂」は限りなく栄へるのざぞ。

「金」に難渋して、負けぬ様にして下されよ。

「金」、馬鹿にしてはならんぞ。

あせるでないぞ。

あせると「心配事」出来るぞ。

神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。

細工はりうりう、滅多に【さいくはりゅうりゅう、めったに>明日香】間違ひないのざぞ。

見物して御座れ。

見事して見せるぞ。

不和の家【ふわのいえ>あさり】、不調和の国(ふわのくに)のささげもの、神は要らんぞ。

喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。

神はうれしいぞ。

旧九月八日、とどめぞ。

六月二日、

みづのひつ九のか三。

 

水の巻、第十四帖(二八八)

今迄は「闇の世」であったから、どんな悪い事しても、闇に逃れる事、出来てきたが

「闇の世」はもうすみたぞ。

思ひ違ふ臣民、沢山あるぞ。

何んな集ひでも、大将は皆、思ひ違ふぞ。

早ふさっぱり、心入れ換へて下されよ。

神の子でないと「神の国」には住めんことになるぞ。

幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。

二度と帰れんぞ。

幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から「心」入れかへて呉れよ。

日本の国の臣民、皆、「兵隊さん」になった時、

一度にどっと「大変」が起るぞ。

皆、思ひ違ふぞ。

「カイ」の御用は「キ」の御用ぞ。

それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。

行けども行けども、草ぼうぼう。

どこから何が飛び出すか。

秋の空、グレンと変るぞ。

この方、化けに化けて(ばけにばけて)、残らずの身魂、調べてあるから、

身魂の改心、なかなかにむつかしいから、 

今度と云ふ今度は、「天の規則」通り、びしびしと「らち」つけるぞ。

『御三体の大神様』、三日此の世を【みっか、このよを>あさり】かまひなさらぬと、この世はクニャクニャとなるのざぞ。

「結構」近づいて居るのざぞ。

「大層」が近づいて居るのざぞ。

この「神示」読みて、神々様にも、守護神殿にも聞かせて呉れよ。

いよいよ「あめの日津久の神様」おんかかりなされるぞ。

旧五月五日、

みづのひつ九か三。

 

284>287

水の巻、第十帖(二八四)

「五大洲」引繰り返って居ること、まだ判らぬか。

肝腎要(かんじんかなめ)の事ざぞ。

「七大洲」となるぞ。

「八大洲」となるぞ。

今の臣民に判る様に申すならば、

御三体の大神様とは、 

天之御中主神様【あめのみなかぬしのかみさま】、

高皇産霊神様【たかみむすびのかみさま】、

神皇産霊神様【かみむすびのかみさま】、

伊邪那岐神様【いざなぎのかみさま】、

伊邪那美神様【いざなみのかみさま】

つきさかきむかつひめの神様

で御座るぞ。

「雨の神」とは

あめのみくまりの神、

くにのみくまりの神、

「風の神」とは

しなどひこの神、

しなどひめの神、

「岩の神」とは

いわなかひめの神、

いわとわけの神、

「荒の神【あれのかみ】」とは

大雷のをの神【おおいかづちの をのかみ】、

わきいかづちおの神、

地震の神」とは

武甕槌神(たけみかづちのかみ)、

経津主神(ふつぬしのかみ)

々様の御事で御座るぞ。

「木の神」とは 

木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)、 

「金の神(かねのかみ)」とは

金かつかねの神【きんかつかねのかみ】、

「火の神」とは

わかひめきみの神、

「ひのでの神」とは

彦火々出見神(ひこほほでみのかみ)、

「竜宮の乙姫」殿とは

玉依姫の神様(たまよりひめのかみさま)

のおん事で御座るぞ。

此の方の事、何れ【いずれ>明日香】判りて来るぞ。

今はまだ、知らしてならん事ぞ。

知らす時節、近づいたぞ。

六月十一日、

みづの一二Θ。

 

水の巻、第十三帖(二八七)

「火」と「水」と申してあろがな。

「火」つづくぞ。

「雨」つづくぞ。

「火」の災(ひのわざわい)、あるぞ。

「水」の災、あるぞ。

「火」のおかげ、あるぞ、

「水」の災、気つけよ。

「火と水」、入り乱れての災あるぞ。

近ふなりたぞ。

「火と水」の御恵み、あるぞ。

一度は「神」の事も、大き声して云へん事あるぞ。

それでも心配するでないぞ。

富士晴れるぞ。

家族幾人居ても、金いらぬであろが。

主人(あるぢ)どっしりと座りておれば、治まっておろが。

「神国の型」、残してあるのざぞ。

「国」治めるに、「政治」はいらぬぞ。

「経済」、いらぬぞ。

「神」おろがめよ。

「神」祭れよ。

「てんし様」おろがめよ。

何もかも皆、「神」に捧げよ。

「神」からいただけよ。

「神国」治まるぞ。

戦【いくさ】も、おさまるぞ。

今の臣民、口先ばかりで「まこと」申してゐるが、「口【くち】」ばかりでは、なほ悪いぞ。

「言【こと】」やめて、仕へまつれ。

でんぐり返るぞ。

六月十三日、

みづのひつくのかみ。

【あさりより>マルクス主義で言う所の「共産主義」。それは「人類にとっての理想社会」であることは間違いありません。

しかしながら、その理想社会を実現する、それも、『人間の力だけで』実現しようとすると、数十年単位?、数百単位?、それとも数千年単位の『時の流れ』が必要になります。つまり、理想社会は『永遠に訪れません』と宣言しているに等しいのです。

それは、いま現在の社会生活基盤をもとにしているからなのですが、何よりの「罠」は、貨幣制度を絶対のものとした「分配論」であること、なのです。

マルクス主義経済学の学者さんなどからは、「それは極論だ!」とおっしゃる声が聞こえてきますが、事実、これまでのガイアにおける7回の文明において、これと同様の「学説」が編み出され、それらの「学説」が説くところの「理想社会」を実現し得ないままに滅び去っています。

そう、まさしく、人類を含む知的生命体は、自身のみの力で「理想社会」を成し遂げていないのです。

では、そんな事を主張するなら、お前らは理想社会を実現できるのか?と問われれば、「出来ます!」とはっきりお答えします。

なぜならそれは、この「帖」に書いてある通りのことを認めるだけでいいのですから。

知的生命体が、己の力のみで生産手段の「社会化」あるいは「共有化」を実現したとしても、「分配」の段階で必ず「問題」が発生します。そしてその小さな「問題」が、重大化し、こじれにこじれて取り返しのつかないことになるのです。

ここで、分配の問題を「天の神」に直結する「地の神(“ち”の神、もしくは、“くに”の神)」であるところの「天子様」一人に全てを任せれば良いのです。

神国の王様は、「天子様」ただお一人。その「一人」は、天に在します、「天の神」の意思により、全ての存在を遍く(あまねく)愛さないといけません。そして、そのたった一人の「愛」こそが、神代そのものが永遠に栄えてゆく源泉となるのです。

全ての富が、たった一人の「王様=天子様」に一旦集約、集中し、そこから必要な物を、必要なだけ分配するわけです。神代になれば、現代社会ほどの物資がいらなくなりますから、その管理などについても心配はないのです。

また、全ての存在が「超能力」的な力を持つため、一切の嘘が通らくなります。すなわち、詐欺や不正は、起きようがないのです。

こうすることで、政治も経済もいらない「究極の共産主義社会」が、すぐにでも実現します。これが「でんぐりがえる」の中身です。

それでは「幽界」とは何か?これは別途解明しますね。

以上、あさりでした。(╹◡╹)

ブースカ明日香>おお、あさりちゃん、「スピリチャル9条の会」に相応しい「講義」ありがとう!わたし自身は、これまでの人生において、資本論を読もうとしたり、数回にわたって「労働学校」に通ったり、日本共産党の学習会などで勉強しました。でもその度に、全く頭に入ってこなかったのが「分配論」でした。資本家が労働者から価値を奪い去り、それを溜め込んでゆく。そこはなんとなく理解できてるように思うのですが、その先は全くのチンプンカンプン。それで結局、それ以降の学習の意欲をなくしてました。(=資本論は、第一巻の途中で、読書放棄!?ε-(´∀`; ))

この世から一切の争い、差別、貧困、支配がなくなるのであれば、ましてやそんな世の中が実現するのであれば、わたしが共産党で頑張っている方向にも合致しますね。

しかし一方では、「その神様、本当に信頼に足るものなのか」という、心の声が聞こえてくるのも確かです。

でも、これまでの人生において、「この世で一番信用できないのは、人間そのもの」という、結論というか、ある種の確信があるのも、確かなのです。悲しき事ですけども(~_~;)。

なので、「神と人が一体になる、そのことで全てが解決する」というこの「神示(=ふで)」に命をかけてもいいかな?と思うのです。

なぜなら、「神さま、嘘つかない」。いえいえ「うそ、つけない」のですから。

以上です。ジュリーちゃん。マル。】

 

285>286

水の巻、第十一帖(二八五)

「神」第一とすれば「神」となり、

「悪魔」第一とすれば「悪魔」となるぞ。

何事も「神」第一、結構。

「カイ」の言霊(かへし)「キ」ざぞ。

「キ」が元ぞと知らしてあろが。

「カイ」の御用にかかりてくれよ。

何と云ふ結構なことであったかと、 始めは苦しいなれど、皆が喜ぶ様になって来るのざぞ。

先、楽しみに苦しめよ。

ぎゅうぎゅうと、しめつけて、目の玉がとび出る事あるのざぞ。

そこまでに曇りて居るのざぞ。

はげしく洗濯するぞ。

可愛い子、 谷底に突き落さなならんかも知れんぞ。

いよいよ神が表に現はれて、「神の国」に手柄立てさすぞ。

「神国」、光り輝くぞ。

日本には、まだまだ、何事あるか判らんぞ。

早く、一人でも多く、知らしてやれよ。

「タマ」磨けば磨いただけ、先が見えすくぞ。

先見える「神徳」、与へるぞ。

いくらえらい役人、頑張りても、今迄の事は何も役に立たんぞ。

新しき「光の世」となるのぞ。

古きもの【古き物、古着物>明日香】脱ぎすてよ、と、申してあろがな。

「まこと心」になりたならば、自分でも判らん程の「結構」出て来るぞ。

手柄立てさすぞ。

いくら「我」張りても、「我」では通らんぞ。

「我」、折りて、素直になりて下されよ。

これでよいと云ふことないぞ。

いくらつとめても、これでよいと云ふことは、ないのざぞ。

「神の一厘のしぐみ」わかりたら、世界一列一平になるぞ。【地球は、平面へと、ガイアへと、元に戻りますよ>あさりより(╹◡╹)】

ますかけひいて、世界の臣民、人民、勇みに勇むぞ。 

勇む事、此の方、嬉しきぞ。

「富士」は何時【いつ>あさり】爆発するのざ、

何処へ【どこへ>明日香】逃げたら助かるのぞ、と云ふ心、我れよしぞ【われよし、ぞ>明日香】。

「何処に居ても、救ふ者は救ふ」と申してあろが。

悪るき待つ「キ」は悪魔の「キ」ざぞ【わるき、まつ「キ」は、あくまの「キ」だぞ>明日香】。

「結構」が「結構」生むのざぞ。 

六月十一日、

みづのひつ九か三。

 

水の巻、第十二帖(二八六)

「人間心」には「我(が)」があるぞ。

「神心」には「我」がないぞ。

「我」がなくてもならんぞ。

「我」があってはならんぞ。

「我」がなくてはならず、あってはならん道理、分りたか。【あさりより>神、人、一体、という意味です(╹◡╹)】

「神」にとけ入れよ。

「てんし様」にとけ入れよ。

「我」なくせ、「我」出せよ。【あさりより>個性は大事ですよ、ということです(╹◡╹)】

「建替」と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事を、きれいに、塵一つ【ちりひとつ>明日香】残らぬ様に洗濯することざぞ。

今度と云ふ今度は、何処までも、きれいさっぱりと「建替」するのざぞ。

「建直【たてなおし】」と申すのは、「世の元の大神様」の御心のままにする事ぞ。

「御光の世」にすることぞ。

「てんし様」の御稜威輝く御代【みいつ、かがやく、みよ>あさり】とする事ぞ。

「政治」も「経済」も、何もかもなくなるぞ。

食べるものも、一時は【いっときは>あさり】無くなって仕舞ふぞ。

覚悟なされよ。

正しくひらく道道、鳴り出づ。

はじめ苦し、

展きゐて【ひらき、いて】、

月鳴る道は弥栄【月なる道は/次なる道は、いやさか】、

地ひらき、

世ひらき、

世むすび、

天地栄ゆ、

はじめ和の道。

《原文:六八二一三七五一九四八五二七三八八三七八四五二三一五三》

世界の臣民、

「てん詞様」おろがむ時、来るのざぞ。

邪魔せずに見物いたされよ。

「御用」は、せなならんぞ。

この「神示」読めよ。

声高く。

この「神示」、血とせよ、

益人となるぞ。

天地まぜこぜとなるぞ。

六月十二日、

みづのひつ九のΘ。