まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示

下つ巻、第二十七帖(六九)に、「よむたび毎に神が気つける様に、声出して、よめばよむだけお蔭あるのぞ。」とあります。従いましてこちらのブログでは、選挙カーのアナウンス原稿や、演説原稿の様な、声に出して読みやすい。そんなレイアウトを目指してます(^^)。ブースカ明日香

まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示・01〜30

ひふみ神示、第一帖〜第三十帖のまぜまぜ。(^_^*)

☆第一巻、上つ巻(うへつまき)

全四十二帖・通し番号(一)~(四二)

自  昭和十九年六月十日

至  昭和十九年七月九日

01>30

第一帖(一)

二二(富士=ふじ)は晴れたり、日本晴れ。

神の国のまことの神の力をあらはす代(よ)となれる。

仏もキリストも何も彼もはっきり助けて、七六かしい(しちむつかしい)御苦労のない代が来るから、みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。

いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。

このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤(そろばん)では弾けん(はじけん)ことぞ。

日本はお土があかる(あがる)、 外国はお土がさかる(さがる)。

都の大洗濯、鄙(ひな=田舎の意)の大洗濯、人のお洗濯。

今度は何うも(どうも)こらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い。神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。

嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る「Θ(〇ゝ)」は神の国。(←Θ(しーた)は『まるす』と呼びます。そしてこの場合「まるすの国」を、日本と決めつけたらいけないそうです。byひるこの“あさりちゃん”)

神の力でないと何んにも成就せん。人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ。いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。 

戦(いくさ)は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない。世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。

臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂(たま)のいくさぞ。

己の心を見よ、戦が済んでいないであろう、それで戦が済むと思うてゐるとは、 あきれたものぞ。早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。

さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ。さびしさ越へて時を待つ。加実(かみ)が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり。

口と心と行と、三つ揃うた「まこと」を命(みこと)といふぞ。

神の臣民みな命(みこと)になる身魂(みたま)、掃除身魂、結構。

六月の十日、

ひつくのかみ。

 

(注  「Θ」は「まるす」《=“まるす”の読みは、「ひるこ」のあさりちゃん(╹◡╹)の指示によるもの。》=「◯」の中に「ゝ」=神。)

参照・http://hifumi.uresi.org/01.htmlひふみ神示 第01巻 上つ巻 / (うへつまき)。

←どうやら、参照しているホームページの元の元は、こちらのページのようですね、by明日香(^◇^;)

 

第三十帖 (三〇)

富士を開いたらまだ開くところあるのざ。

鳴戸へ行くことあるのざから、このこと役員だけ心得て置いて呉れよ。

七月一の日、

ひつくのかみ

 

02>29

第二帖 (二) 

親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。

鼠(ねずみ)でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな。

それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ。

ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。

闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから。

人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。

酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる。それまで我慢出来ない臣民沢山ある。 

早く「Θ」(元 =もと)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト「Θ」心(元の神こころ)になりて呉れよ、神頼むぞよ。

盲(めくら=差別用語??)が盲を手を引いて何処(どこ)へ行く積りやら。

気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ。

悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる。

神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛い(つらい)なれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。

配給は配給、統制は統制のやり方。

神のやり方は日の光。臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ。

日の光は神のこころ、稜威(みいず)ぞ。《注:今の太陽の正体は『月』です。“本当の”天照皇大神宮から『あまてらすさん=モスラのお姿』が復活された時、『みいづ』となります。byひるこの“あさりちゃん”》

 

人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん。盲には困る困る。

救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易い(やすい)なれど、それでは元の神様にすまず。

これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。 

冬の先が春とは限らんぞ。

「Θ」の国を八つに切って殺す悪の計画。

「Θ」の国にも外国の臣民が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。

六月の十日、

書は、ひつくの神。

てんめ(岡本天明)御苦労ぞ。

(注 「 Θ」は“まるす”。「◯」の中に「ゝ」=神・モト=もと=元)

 

第二十九帖 (二九) 

この世が元の神の世になると云ふことは、何んな(どんな)かみにも分って居れど、何うしたら(どうしたら)元の世になるかといふこと分らんぞ。

かみにも分らんこと、人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、 サッパリ取り違ひぞ。

やって見よれ、あちらへ外れこちらへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、最後のことはこの神でないと分らんぞ。

いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。

七月一日、 ひつくのか三。

【岡山で数年間過ごした、明日香>岡本天明さんは、ご出身が岡山だけあって、こちらの文中、ところどころに岡山弁的表現が混じっているのが面白いと思います。】

03>28

第三帖 (三) 

善言(よごと=良い言葉)は神。

なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡(かがみ)を掃除して呉れよ。

今にこのおつげが一二三(ひふみ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ。

何もかも、一度に出て来る。

海が陸(おか)になり陸(おか)が海になる。

六月十一日の朝のお告げ、

みよみよみよひつくの神。

 

第二十八帖 (二八) 

世界中まるめて神の一つの詞(王=おう)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ。

百姓は百姓、鍛冶(かじ)は鍛冶と、今度はとことわ(永遠)に定まるのぞ。

身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって、動かん神の世とするのぞ。

茄子(なす)の種には瓜(うり)はならんぞ。茄子の蔓(つる)に瓜をならすのは悪の仕組。今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。

神と「アク」との力競べぞ。今度は「アク」の王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、「アク」も改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。

神の国を千切りにして膾(なます)にする「アク」の仕組は分りて居る。「アク」の神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。

残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ。

神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ。と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。

七月一日、

ひつ九のか三。

 

04>27

第四帖 (四) 

急ぐなれど、臣民なかなかに言ふことをきかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。

神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか。

金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。

早く神祀りて呉れ(かみ、まつりてくれ)よ。神祀らねば何も出来ぬぞ。

表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。

神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。

お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ。富士みはらし台ぞ。

早く祀りてみつげ(御告げ)を世に広めて呉れよ。

早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。

上ばかりよくてもならぬ。下ばかりよくてもならぬ。上下揃ふた(じょうげそろった)よき世が神の世ぞ。

卍も一十《(注)二つの解釈があります。ドイツとイタリア。もう一つは、ブッダ(中国)とキリスト(バチカン市国、イタリアとは根本的に違う国です。イスラエルに通じています。byあさり》もあてにならぬ。世界中一つになりて「Θ」の国に寄せて来るぞ。

それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか。分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。

神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。

人がきかねば、神ばかりで始めるぞ。

神ばかりで洗濯するのは早いなれど、 それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ。

いつ何んなことあっても知らんぞ。

神祭第一、神祭結構。

二三(芙蓉?・ふよう?byあさり)の「木ノ花咲耶姫の神様」を祀りて呉れよ。「コハナサクヤ姫様」も祀りて呉れよ。

六月十三の日、

ひつくのか三。

 

第二十七帖 (二七) 

何もかも世の元から仕組みてあるから、神の申すところへ行けよ。

元の仕組は富士(二二)ぞ。

次の仕組はウシトラ三十里四里。

次の仕組の山に行きて、開いて呉れよ。

今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ。

細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから。

臣民は子ざから《臣民は神の子だから>byあさり》、子に手柄さして親から御礼申すぞ。

行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。

天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。

悪の仕組に、みなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ。

目さめたらたずねて《神を訪ねて、神に尋ねて。両方の意味あり。by明日香》ござれ。

この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に、神示で知らしておくぞ。

秋立ちたら淋しくなるぞ。淋しくなりたらたづねてござれ。

我(が)を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。

この神示(ふで)も、身魂(みたま)により、何んなにでも(どんなにでも)とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ。

三柱と七柱揃うたら山に行けよ。

七月一日、

ひつくのか三。

 

05>26

第五帖 (五) 

富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。

見晴らし台とは身を張らすとこぞ。

身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。

大庭(おおにわ)の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。

富士を開くとは心に神を満たすことぞ。

ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。

ひむかは神の使ひざから、九の道(このみち)を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ。

ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ。この理(みち)をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。

六月十四日、ひつくのか三。 

 

第二十六帖 (二六) 

「あ」の身魂とは、天地のまことの一つの掛替ない身魂(かけがえないみたま)ぞ。

「や」とはその左の身魂、「わ」とは右の身魂ぞ。

「や」には替へ身魂(や)あるぞ、「わ」には替へ身魂(わ)あるぞ。

「あ」も「や」も「わ」も(や)も(わ)も一つのものぞ。

《注・(や)(わ)は〇の中に文字あり。by日月神示全文掲載 上 つ 巻http://heiwatori.com/page61

みたま引いた神かかる臣民を集めるから急いで呉れるなよ。今に分かるから、それまで見てゐて呉れよ。

「い」と「う」はその介添(かいぞえ)の身魂。

その魂(たま)と組みて「え」と「を」、「ゑ」と「お」が生まれるぞ。

いづれは分ることざから、それまで待ちて呉れよ。言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから。

身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯して呉れよ。

神祀るとはお祭りばかりでないぞ。神にまつらふことぞ。

神にまつらふとは、神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ。

神にまつはりつくとは、子が親にまつわることぞ、神に従ふことぞ。

神にまつらふには洗濯せなならんぞ。洗濯すれば神かかるぞ。

神かかれば何もかも見通しぞ。それで洗濯洗濯と、臣民の耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。

七月の一日、

ひつくのかみの道ひらけあるぞ。

 

06>25

第六帖 (六) 

外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ。

九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。

臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。

大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。

この知らせを(神示を)よく読みて呉れよ。

十月まで待て。それまでは、このままで居れよ。

六月十七日。

ひつくのか三。

 

第二十五帖 (二五) 

一日に十万、人が死にだしたら、神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。

この神は世界中のみか、天地のことを委(まか)されてゐる神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ。

小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うてゐると間違ひが起るから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。

北から来るぞ。

神は気(け)もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。

一日一握りの米に泣く時あるぞ。着る物も泣くことあるぞ。いくら買溜め(かいため)しても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ。

着ても着ても、食うても食うても、何もならん餓鬼(がき)の世ざ。早う神心(かみこころ)にかへりて呉れよ。

この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ。

踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからにお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。

元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ。 

欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ。神よく気をつけて置くぞ。

この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の・(てん)の大神、地(くに)の大神と共に、よく祀りて呉れよ。

六月の三十日、

ひつくのか三。

 

07>24

第七帖 (七)

いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。

御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。

この神は小さい病直し(やまいなおし)や按摩(あんま)の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。

神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。

六月の十七日、一二のか三。

 

第二十四帖 (二四) 

七の日はものの成る日ぞ。

「ア」と「ヤ」と「ワ」は本(もと)の御用ぞ。「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。

あとはだんだん分りて来るぞ。

六月の二十八日は因縁の日ざ。

一二のか三。

 

08>23
第八帖 (八) 
秋が立ちたら、この道ひらく方出て来るから。
それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで、腹の中によく入れて置いて呉れよ。
その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ。
それまでに何もかにも知らして置くから、縁ある方から、この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。
六月の十七日、
ひつくのか三。
 
第二十三帖 (二三)
神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人 沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ。
六月の二十八日、
ひつくのか三。
 
09>22
第九帖 (九) 
この世のやり方、わからなくなったら、この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。
日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹 に入れて置いて呉れよ。
六月の十七日、
ひつくのか三。
 
第二十二帖 (二二)
いよいよとなれば、外国が強いと見れば、外国へつく臣民沢山できるぞ。
そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。
六月二十の八日、
一二のか三。
 
10>21
第十帖 (一〇) 
神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる。
掃除の程度によりて神のうつりかたが違うぞ。
掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。
六月十九日、
ひつくのか三。 
 
第二十一帖 (二一) 
世の元の大神(おおかみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ。
この仕組、分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組(むつかしいしくみ)であるぞ。
知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力(かむちから)出して、岩戸開いて「一つの王で治める」神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ。
掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。
今度は、とことは(永遠)に変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざぞ。
洗濯できた臣民から手柄立てさして、うれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切の"ごもく"《汚いもの、by heiwatoriさん》捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。
因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ。おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。
神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。 
初めつらいなれどだんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ。
外国から攻めて来て日本の国が丸つぶれといふところで、元の神の神力(かむちから)出して世を建てるから。
臣民の心も同じぞ。
江戸も昔のやうになるぞ。神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。
富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ。
富士にも祀りて呉れよ。
富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。
富士は神の山ざぞ。いつ火を噴くか分らんぞ。
神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ。
神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。
まつりまつり結構。
六月の二十八日、
ひつ九のか三。
 
11>20
第十一帖 (一一) 
いづくも土にかへると申してあろうが。
東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。 
神の申したこと違はんぞ。
東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。
六月の十九日、
一二のか三。
 
第二十帖 (二〇)
神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈(はず)ぞと申す者沢山あるが、神には人のいふ善も悪もないものぞ。
よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。
表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが。
一枚の紙にも裏表。
ちと誤まれば分らんことになるぞ。神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざぞ。
そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。
言挙げ(ことあげ)せぬ国とはその事ぞ。
理屈は外国のやり方。神の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ。それが神の真の民ぞ。
足許(あしもと)から鳥(とり)が立つぞ。十理(とり)たちてあわてても何んにもならんぞ。
用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。
上の者下に、落ちぶれた民、上になるぞ。
岩戸開けるぞ。夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ。
加実(かみ)の申すこと、千に一つも違はんぞ。
六月二十七日、
ひつくのか三。
 
12>19
第十二帖 (一二) 
大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに、上の人、気をつけて呉れよ。
この道はちっとも心許せん(ゆるせん)まことの神の道ぞ。
油断すると神は代りの身魂使うぞ。
六月の二十一日の朝、
ひつくのか三。
 
第十九帖 (一九)
神の国「◯ゝ」の山に「◯ゝ」祭りて呉れよ。
祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ。
祭り祭りて嬉し嬉しの世となるぞ。
祭るには先づ掃除せねばならんぞ。
掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ。
神州清潔の民とは、掃除してキレイになった臣民のことぞ。
六 月二十七日、一二「◯ゝ」
《注、「◯ゝ」は、丸の中に玉。丸玉です。byあさり(╹◡╹)》
 
13>18
第十三帖 (一三) 
元の人三人、その下に七人。
その下に七七、四十九人。
合して(あわして)五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざぞ。
この五十九の身魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ。
これが世の元の神の数ぞ。
これだけの身魂が力合はして、よき世の礎(いしずえ)となるのざぞ。
この身魂はいずれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、 どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にして帰せよ。
何事も時節が来たぞ。
六月の二十一日、
ひつくのか三。
 
第十八帖 (一八) 
岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。
一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ。
シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ。身魂みがき第一ぞ。
この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ。
何でも分らんこと無いやうに、この神示(ふで)で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。
この道はスメラが道ざぞ。
すめる御民(すめる、みたみ)の道ざぞ。
みそぎせよ、はらひせよ。臣民早くせねば間に合はんぞ。
岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ。
この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざ、といふところまで、 とことんまで落ちて行くぞ。
九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。
臣民の心の鏡、凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。
今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん。これで世が治まると思ふてか。あまりと申せばあまりぞ。
神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ。その積りでゐて呉れよ。
神の申すこと、ちっつともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり。《富んでいるのにさらに欲張っている状態、by  heiwatoriさん》
それで苦しんでゐるのざぞ。
早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。
六月二十六日、
ひつくのかみ。
 
14>17
第十四帖 (一四) 
この神示(ふで)よく読みて呉れよ。読めば読むほど何もかも分りて来るぞ。
心とは神民(しんみん)の申す心でないぞ。
「身魂」とは神民の申す身魂でないぞ。
「身たま」とは、身と魂(たま)と一つになってゐるもの云ふぞ。
神の神民、身と魂のわけ隔てないぞ。
身は魂、魂は身ぞ。
外国は身ばかりの所あり、魂ばかりの所あり。
神は身魂の別ないぞ。
この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ。
身魂の洗濯とは、心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ。よく気をつけて呉れ。
神の申すこと、ちがはんぞよ。
六月の二十二日、
ひつくのか三。
 
第十七帖 (一七) 
この世はみな神のものだから、臣民のものと云ふもの一つもないぞ。
お土からとれた物、みな先づ神に供へよ。
それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、神には献げずに、「臣民ばかり喰べる」から、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ。
「何でも神に供へてから喰べる」と身魂ふとるぞ。
今の半分で足りるぞ。
それが臣民の頂き方ぞ。
六月の二十五日、
ひつくのか三。
 
15>16
第十五帖 (一五) 
今度は末代動かぬ世にするのだから、今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ。
人を集めるばかりが能(のう)ではないぞ。
人も集めねばならず、六ヶ敷い道(むつかしいおしえ)ぞ。
縁ある人は、早く集めて呉れよ。縁なき人いくら集めても何もならんぞ。縁ある人を見分けて呉れよ。
顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ。【←心は外国の身魂あるぞ、とも読めますね>明日香】
顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。
やりかけた戦(いくさ)ぞ。とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ。
今のうちにこの神示よく読んでゐて呉れよ。
九月になったら用意して呉れよ。
六月の二十四日、
ひつくのか三。
 
第十六帖 (一六)
ひふみの火水(かみ)とは結(むすび)ぞ。
中心の神、表面に世に満つことぞ。
ひらき睦び(むすび)、中心に火集ひ、ひらく水。
神の名二つ、『カミ』と『神』、世に出づ。
早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と、栄へ結び、成り展く秋(なりひらくとき)来る。
弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ(ひらきむすぶぞ)。
月出でて月なり。
月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。
早く道ひらき、月と水のひらく大道。
月の仕組、月神と日神二つ展き、
地上弥栄みちみち、
世の初め
悉く(ことごとく)の神も、世と共に勇みに勇むぞ。
世はことごとに統一し、
神世の礎(いしずえ)極まる時代来る(とききたる)。
神世の秘密と云ふ(いう)。
六月二十四日、
一二「◯ゝ」文(ふみ)。
 
続くε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
編集・ブースカ明日香
アドバイザー・あさり(╹◡╹)、様々な神さまたち(^^)

 

2018年6月24日(日)16:26  

編集、しおわった〜〜(^O^☆♪  💦

~~~~~~~~~~~~

追記) 

上つ巻、第十六帖
(一六)原文
 
一二三一二三十八六一五十一二四三三八六一二五八二「Θ(〇ゝ)」二十十四二八八八九七一四四十九二四十二四六七八八十四三一五二八六三二五一二六二八八七十一九十三八八九三一二八三二一二三「Θ(〇ゝ)」二十「Θ(〇ゝ)」十二八九二八三三四一百千十百四十一二十三卍四八九一十四一九四「Θ(〇ゝ)」四
七三十三六二四一二「Θ(〇ゝ)」二三
 
2018年8月28日(火)0:06
ブースカ明日香