まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示・01〜30
☆第一巻、上つ巻(うへつまき)
全四十二帖・通し番号(一)~(四二)
自 昭和十九年六月十日
至 昭和十九年七月九日
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第一帖(一)
二二(富士=ふじ)は晴れたり、日本晴れ。
神の国のまことの神の力をあらはす代(よ)となれる。
仏もキリストも何も彼もはっきり助けて、七六かしい(しちむつかしい)御苦労のない代が来るから、みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。
いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。
このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤(そろばん)では弾けん(はじけん)ことぞ。
日本はお土があかる(あがる)、 外国はお土がさかる(さがる)。
都の大洗濯、鄙(ひな=田舎の意)の大洗濯、人のお洗濯。
今度は何うも(どうも)こらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い。神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。
嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る「Θ(〇ゝ)」は神の国。(←Θ(しーた)は『まるす』と呼びます。そしてこの場合「まるすの国」を、日本と決めつけたらいけないそうです。byひるこの“あさりちゃん”)
神の力でないと何んにも成就せん。人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ。いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。
戦(いくさ)は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない。世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。
臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂(たま)のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろう、それで戦が済むと思うてゐるとは、 あきれたものぞ。早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。
さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ。さびしさ越へて時を待つ。加実(かみ)が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり。
口と心と行と、三つ揃うた「まこと」を命(みこと)といふぞ。
神の臣民みな命(みこと)になる身魂(みたま)、掃除身魂、結構。
六月の十日、
ひつくのかみ。
(注 「Θ」は「まるす」《=“まるす”の読みは、「ひるこ」のあさりちゃん(╹◡╹)の指示によるもの。》=「◯」の中に「ゝ」=神。)
参照・http://hifumi.uresi.org/01.html・ひふみ神示 第01巻 上つ巻 / (うへつまき)。
←どうやら、参照しているホームページの元の元は、こちらのページのようですね、by明日香(^◇^;)
第三十帖 (三〇)
富士を開いたらまだ開くところあるのざ。
鳴戸へ行くことあるのざから、このこと役員だけ心得て置いて呉れよ。
七月一の日、
ひつくのかみ
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第二帖 (二)
親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。
鼠(ねずみ)でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな。
それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ。
ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。
闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから。
人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。
酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる。それまで我慢出来ない臣民沢山ある。
早く「Θ」(元 =もと)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト「Θ」心(元の神こころ)になりて呉れよ、神頼むぞよ。
盲(めくら=差別用語??)が盲を手を引いて何処(どこ)へ行く積りやら。
気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ。
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる。
神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛い(つらい)なれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。
配給は配給、統制は統制のやり方。
神のやり方は日の光。臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ。
日の光は神のこころ、稜威(みいず)ぞ。《注:今の太陽の正体は『月』です。“本当の”天照皇大神宮から『あまてらすさん=モスラのお姿』が復活された時、『みいづ』となります。byひるこの“あさりちゃん”》
人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん。盲には困る困る。
救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易い(やすい)なれど、それでは元の神様にすまず。
これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。
冬の先が春とは限らんぞ。
「Θ」の国を八つに切って殺す悪の計画。
「Θ」の国にも外国の臣民が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。
六月の十日、
書は、ひつくの神。
てんめ(岡本天明)御苦労ぞ。
(注 「 Θ」は“まるす”。「◯」の中に「ゝ」=神・モト=もと=元)
第二十九帖 (二九)
この世が元の神の世になると云ふことは、何んな(どんな)かみにも分って居れど、何うしたら(どうしたら)元の世になるかといふこと分らんぞ。
かみにも分らんこと、人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、 サッパリ取り違ひぞ。
やって見よれ、あちらへ外れこちらへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、最後のことはこの神でないと分らんぞ。
いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。
七月一日、 ひつくのか三。
【岡山で数年間過ごした、明日香>岡本天明さんは、ご出身が岡山だけあって、こちらの文中、ところどころに岡山弁的表現が混じっているのが面白いと思います。】
03>28
第三帖 (三)
善言(よごと=良い言葉)は神。
なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡(かがみ)を掃除して呉れよ。
今にこのおつげが一二三(ひふみ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ。
何もかも、一度に出て来る。
海が陸(おか)になり陸(おか)が海になる。
六月十一日の朝のお告げ、
みよみよみよひつくの神。
第二十八帖 (二八)
世界中まるめて神の一つの詞(王=おう)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ。
百姓は百姓、鍛冶(かじ)は鍛冶と、今度はとことわ(永遠)に定まるのぞ。
身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって、動かん神の世とするのぞ。
茄子(なす)の種には瓜(うり)はならんぞ。茄子の蔓(つる)に瓜をならすのは悪の仕組。今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。
神と「アク」との力競べぞ。今度は「アク」の王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、「アク」も改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。
神の国を千切りにして膾(なます)にする「アク」の仕組は分りて居る。「アク」の神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。
残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ。
神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ。と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。
七月一日、
ひつ九のか三。
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第四帖 (四)
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふことをきかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。
神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか。
金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。
早く神祀りて呉れ(かみ、まつりてくれ)よ。神祀らねば何も出来ぬぞ。
表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。
神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。
お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ。富士みはらし台ぞ。
早く祀りてみつげ(御告げ)を世に広めて呉れよ。
早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。
上ばかりよくてもならぬ。下ばかりよくてもならぬ。上下揃ふた(じょうげそろった)よき世が神の世ぞ。
卍も一十《(注)二つの解釈があります。ドイツとイタリア。もう一つは、ブッダ(中国)とキリスト(バチカン市国、イタリアとは根本的に違う国です。イスラエルに通じています。byあさり》もあてにならぬ。世界中一つになりて「Θ」の国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか。分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。
神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。
人がきかねば、神ばかりで始めるぞ。
神ばかりで洗濯するのは早いなれど、 それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ。
いつ何んなことあっても知らんぞ。
神祭第一、神祭結構。
二三(芙蓉?・ふよう?byあさり)の「木ノ花咲耶姫の神様」を祀りて呉れよ。「コハナサクヤ姫様」も祀りて呉れよ。
六月十三の日、
ひつくのか三。
第二十七帖 (二七)
何もかも世の元から仕組みてあるから、神の申すところへ行けよ。
元の仕組は富士(二二)ぞ。
次の仕組はウシトラ三十里四里。
次の仕組の山に行きて、開いて呉れよ。
今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ。
細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから。
臣民は子ざから《臣民は神の子だから>byあさり》、子に手柄さして親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。
天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。
悪の仕組に、みなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ。
目さめたらたずねて《神を訪ねて、神に尋ねて。両方の意味あり。by明日香》ござれ。
この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に、神示で知らしておくぞ。
秋立ちたら淋しくなるぞ。淋しくなりたらたづねてござれ。
我(が)を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。
この神示(ふで)も、身魂(みたま)により、何んなにでも(どんなにでも)とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ。
三柱と七柱揃うたら山に行けよ。
七月一日、
ひつくのか三。
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第五帖 (五)
富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。
見晴らし台とは身を張らすとこぞ。
身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。
大庭(おおにわ)の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。
富士を開くとは心に神を満たすことぞ。
ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。
ひむかは神の使ひざから、九の道(このみち)を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ。
ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ。この理(みち)をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。
六月十四日、ひつくのか三。
第二十六帖 (二六)
「あ」の身魂とは、天地のまことの一つの掛替ない身魂(かけがえないみたま)ぞ。
「や」とはその左の身魂、「わ」とは右の身魂ぞ。
「や」には替へ身魂(や)あるぞ、「わ」には替へ身魂(わ)あるぞ。
「あ」も「や」も「わ」も(や)も(わ)も一つのものぞ。
《注・(や)(わ)は〇の中に文字あり。by日月神示全文掲載 上 つ 巻http://heiwatori.com/page61》
みたま引いた神かかる臣民を集めるから急いで呉れるなよ。今に分かるから、それまで見てゐて呉れよ。
「い」と「う」はその介添(かいぞえ)の身魂。
その魂(たま)と組みて「え」と「を」、「ゑ」と「お」が生まれるぞ。
いづれは分ることざから、それまで待ちて呉れよ。言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから。
身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯して呉れよ。
神祀るとはお祭りばかりでないぞ。神にまつらふことぞ。
神にまつらふとは、神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ。
神にまつはりつくとは、子が親にまつわることぞ、神に従ふことぞ。
神にまつらふには洗濯せなならんぞ。洗濯すれば神かかるぞ。
神かかれば何もかも見通しぞ。それで洗濯洗濯と、臣民の耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。
七月の一日、
ひつくのかみの道ひらけあるぞ。
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第六帖 (六)
外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ。
九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。
臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。
大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。
この知らせを(神示を)よく読みて呉れよ。
十月まで待て。それまでは、このままで居れよ。
六月十七日。
ひつくのか三。
第二十五帖 (二五)
一日に十万、人が死にだしたら、神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。
この神は世界中のみか、天地のことを委(まか)されてゐる神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ。
小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うてゐると間違ひが起るから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。
北から来るぞ。
神は気(け)もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。
一日一握りの米に泣く時あるぞ。着る物も泣くことあるぞ。いくら買溜め(かいため)しても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ。
着ても着ても、食うても食うても、何もならん餓鬼(がき)の世ざ。早う神心(かみこころ)にかへりて呉れよ。
この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ。
踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからにお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。
元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ。
欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ。神よく気をつけて置くぞ。
この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の・(てん)の大神、地(くに)の大神と共に、よく祀りて呉れよ。
六月の三十日、
ひつくのか三。
07>24
第七帖 (七)
いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。
御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。
この神は小さい病直し(やまいなおし)や按摩(あんま)の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。
神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。
六月の十七日、一二のか三。
第二十四帖 (二四)
七の日はものの成る日ぞ。
「ア」と「ヤ」と「ワ」は本(もと)の御用ぞ。「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。
あとはだんだん分りて来るぞ。
六月の二十八日は因縁の日ざ。
一二のか三。
2018年6月24日(日)16:26
編集、しおわった〜〜(^O^☆♪ 💦
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追記)