まぜまぜd(^_^o)ひふみ神示・31〜60
ひふみ神示をまぜまぜに読む。(*'▽'*)
☆ひふみ神示、第一巻
上つ巻
第三十一帖~第四十二帖
通し番号(三一)〜(四二)
☆ひふみ神示、第二巻
下つ巻(四百つ巻=しもつまき。)
第一帖〜第十八帖
通し番号(四三)~(六十)
31>60
上つ巻、第三十一帖 (三一)
今度の御用は結構な御用ぞ。いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。
今に御用させて呉れと金持って来るが、一一(いちいち)神に聞いて始末せよ。
汚れた金、御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。 汚れた金、邪魔になるから、まことのもの集めるから、何も心配するなよ。心配気の毒ぞよ。何も神がするから、慾出すなよ。
あと暫くぞよ、日々に分かりて来るから、素直な臣民うれしうれしで暮さすから。
下つ巻、第十八帖 (六〇)
この道は神の道であり人の道であるぞ。
この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ。たれかれの別ないぞ。
世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。
神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。
神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。
七月の二十三日、
ひつ九のか三のふで。
32>59
上つ巻、第三十二帖 (三二)
世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは『Θ(「〇」プラス「ゝ」=まるす=ひるこの“あさりちゃん”より)』の系統ぞ、ミツグは「〇」の系統ぞ。
ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。『Θ』と「〇」と結びて一二三(ひふみ)となるのざから。外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな。
一二三唱へて岩戸あくぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違はん様にして呉れよ。
ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱へて呉れよ。一二三唱へると岩戸あくぞ。
七月の二の日、
ひつくのか三。
下つ巻、第十七帖(五九)
学や知恵では外国にかなうまいがな。
神たよれば神の力出るぞ。善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。
今の臣民、口先きばかり。こんなことでは神の民とは申されんぞ。
天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。
因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。
一人で七人づつ道伝へて呉れよ。その御用が先づ初めの御用ぞ。
この神示通り伝へて呉れればよいのぞ。自分ごころで説くと間違ふぞ。
神示通りに知らして呉れよ。
我を張ってはならぬぞ。我がなくてもならぬぞ。
この道六ヶしい(むつかしい)なれど縁ある人は勇んで出来るぞ。
七月の二十一日、
一二の Θ。
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上つ巻、第三十三帖 (三三)
神の用意は済んでゐるのざから、民の用意、早うして呉れよ。用意して早う祀りて呉れよ。
富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分りて来るぞ。
神の名のついた石があるぞ。その石、役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ。
神の石はお山にあるから、お山開いて呉れよ。
ひつぐの民、みつぐの民、 早う用意して呉れよ、神急けるぞ。
七月二日、
ひつくのか三。
下つ巻、第十六帖 (五八)
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから。さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから。さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ。
イシヤの仕組にかかりて、 まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して、仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。
今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力(かむちから)みせて、イシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。
神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。
富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから、縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ。
お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い。みたま入れて守りの石と致してやるぞ。
これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなにくどう(くどく)は申さんぞ。
因縁の身魂には、神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。
江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。
江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。 前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。
江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。
この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。
七月の二十一日の夜、
ひつ九のか三。
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上つ巻、第三十四帖 (三四)
何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん。
多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(しゅうりかため、ではなく「かため」)の、終りの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ。
神々さま、臣民、みなきいて呉れよ。
一二三(ひふみ)の御用出来たら三四五(みよいつ=みよいず)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用して呉れよ。何も心配ないから神の仕事をして呉れよ。
神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから。御用第一ぞ。
一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ。世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。
七月の三日、
ひつくのか三。
(注)
「みよいつ=みよいづ」と「みよいず」の違いについて。
みよいつ=みよいづは、御世(みよ=神代(かみよ))と『なる』こと。神が「出る(いづる)」といいますよね。
一方、みよいずは、御世とは『ならない』こと。「御世・居ず」となってしまうから。
ここでは、「みよいず」の御用を努める方々と、「みよいづ」の御用を努める方々、お互いが全力で競い合う状態を指します。
byひるこの“あさり”より。
下つ巻、第十五帖 (五七)
この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ。
鎮守様は御苦労な神様ぞ。忘れてはならんぞ。
この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。追ひ追ひ分かりて来るぞ。
『一二七七七七七』わすれてはならんぞ。次の世の仕組であるぞ。
身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな。黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ。神の国近づいたぞ。
七月の二十一日、
ひつ九 のか三。
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上つ巻、第三十五帖 (三五)
死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに神の御用して呉れよ。
殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。
まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ。神の国千切り(せんぎり?ちぎり?)と申してあるが、喩(たと)へではないぞ。
いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり返して神代(かみよ)に致すぞ。とは(永遠)の神代に致すぞ。
細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国(かみくに?しんこく?)の民とは云はれんぞ。
外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも(とかなくても)分る身魂授けてあるぞ。それで身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。
それとも外国人並にして欲しいのか。曇りたと申してもあまりぞ。
何も心配いらんから、お山開いて呉 れよ。
江戸が火となるぞ、神急けるぞ。
七月の七日、
ひつくのか三。
下つ巻、第十四帖 (五六)
臣民ばかりでないぞ。神神様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ。
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ。御代出づとは神の御代になることぞ。この世を神の国にねり上げることぞ。
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。
この神は、世界中の神と、臣民と、けだものも、草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。
神様と臣民、同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ。
みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。
小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ。一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ。
この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ。
その神たよりたなら(頼ったならば)、身魂みがけただけの神徳あるぞ。
この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。
元の神代に返すと申すのは喩へ(たとえ)でないぞ。
七から八から九から十から、神烈しくなるぞ。
臣民の思う通りにはなるまいがな。それは逆立してゐるからぞ。
世界一度にキの国にかかりて来るから。一時は潰れたやうに、「もうかなはん」と云ふところまでになるから。「神はこの世に居らん」と臣民申すところまで、むごいことになるから。
外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ。
いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。
七月の二十日、
ひつ九のか三。
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上つ巻、第三十六帖 (三六)
元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。
穴の中に住まなならんこと出来るぞ。生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違ひばかりしてゐるぞ。
何もかも一旦は天地へお引き上げぞ。われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。
七月の九日、
ひつくのか三。
下つ巻、第十三帖 (五五)
逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。
あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな。上にゐては足も苦しからうがな。
上下逆様(じょうげさかさま)と申してあるが、これでよく分るであろう。
足はやはり下の方が気楽ぞ。
あたま上でないと逆さに見えて、苦しくて逆様ばかりうつるぞ。
この道理分りたか。
岩戸開く、とは元の姿に返すことぞ。神の姿に返すことぞ。
三(みち)の役員は別として、 あとの役員のおん役は、手、足、目、鼻、口、耳などぞ。
人の姿見て役員よく神の心悟れよ。もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。
この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。
人の心と行ひと、神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ。
この道理分りたか。
この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ。
金銀要らぬ世となるぞ。
御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ。
手は手の役、うれしかろうがな。
足は足の役、うれしかろうがな。
足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ。それがまことの姿ぞ。
逆立して手が足の代りしてゐたから、よく分りたであろうがな。
いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。
日本は別として、世界七つに分けるぞ。今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ。わかりた臣民から御用つくりて呉れよ。
御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。
七月の十八日の夜、
ひつくのか三
37>54
上つ巻、第三十七帖(三七)
人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。
お宮も一時は無くなる様になるから。その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。
早う身魂みがいておけよ。
お宮まで 外国のアクに壊されるやうになるぞ。
早くせねば間に合わんことぞ。
ひつくのか三。
下つ巻、第十二帖 (五四)
この神は日本人のみの神でないぞ。
自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それで「お蔭ない」と申してゐるが困ったものぞ。
早う気づかんと気の毒出来るぞ。
初めの役員、十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。
七月の十八日、
ひつ九のΘ 。
38>53
上つ巻、第三十八帖 (三八)
残る者の身も一度は死ぬことあるぞ。死んでからまた生き返るぞ。三分の一の臣民になるぞ。
これからがいよいよの時ざぞ。
日本の臣民同士が食い合ひするぞ。かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。
神にシッカリと縋(すが)りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ。
神ほど結構なものはないぞ。
神にも善い神と悪い神とあるぞ。
雨の日は雨、風の日は風、といふこと分らんか。それが天地の心ぞ。天地の心を早う悟りて下されよ。
いやならいやで外(ほか)に代りの身魂があるから神は頼まんぞ。
いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。
神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。
ひつきのか三。
下つ巻、第十一帖 (五三)
けものさへ、神のみ旨に(かみのみむねに)息せるを、神を罵る(ののしる)民のさわなる。
草木さへ神の心に従ってゐるではないか。
神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか。あの姿に早う返りて呉れよ。
「青人草」と申すのは「草木の心の民」のことぞ。
道は自分で歩めよ。
御用は自分でつとめよ。人がさして呉れるのでないぞ。自分で御用するのぞ。
道は自分で開くのぞ。人頼りてはならんぞ。
七月の十八日、
ひつくのか三。
39>52
上つ巻、第三十九帖 (三九)
地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。
「カミカカリ」が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(このみち)をひらいて呉れよ。
神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。
改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ。 早く改心第一ざ。
ひつくのか三。
下つ巻、 第十帖(五二)
八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。
アイウは縦ぞ、アヤワは横ぞ。
縦横揃うて十となるぞ。
十は火と水ぞ。
縦横結びて力出るぞ。
何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。
臣民は静かに、神は烈しきときの世、近づいたぞ。
七月の十七日、
一二Θ。
40>51
上つ巻、第四十帖 (四〇)
北も南も東も西もみな敵ぞ。
敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。
きんの国へみなが攻めて来るぞ。
神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ。
臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ。
一二のか三。
下つ巻、第九帖 (五一)
今度の戦は『Θ』と「〇」との大戦ぞ。
神様にも分らん仕組が、世の元の神がなされてゐるのざから、下(しも)の神神様にも分らんぞ。
何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりて、この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから。
神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。
『Θ』と「〇」とは心の中に「ゝ」があるか「ゝ」がないかの違ひであるぞ。
この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。
江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ。
この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ。
役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ。
役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。
七月の十七日、
一二のか三。
41>50
上つ巻、第四十一帖 (四一)
人の知らん行かれん所で何してゐるのぞ。
神にはよう分って居るから、いよいよといふ時が来たら助けやうもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。
闇のあとが夜明けばかりと限らんぞ。闇がつづくかも知れんぞ。
何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ。
ひつきのか三。
下つ巻、第八帖 (五〇)
この神示(ふで)皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも、声出して読んで呉れよ。
まごころの声で読んで呉れよ。
臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。
七月の十七日、
ひつ九のか三。
42>49
上つ巻、第四十二帖 (四二)
初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いて呉れよ。
お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ。
一月の間に書いて呉れた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残して呉れよ。
これから一月の間に書かす神示は、次の世の、神の世の仕組の神示ざから、それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ。その積りで気をつけて呉れよ。
御苦労なれども世界の臣民の為ざから、何事も神の申すこと、すなをに聞いて下されよ。
七月の九日、
ひつくのか三かく。
(上つ巻了)
下つ巻、第七帖 (四九)
この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ。しかし無理には引張って呉れるなよ。
この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ。世界中の民みな信者ぞ。それで教会のやうなことするなと申すのぞ。
世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。
一二三祝詞 (ひふみのりと)するときは、神の息に合はして宣(の)れよ。
神の息に合はすのは三五七、三五七に、切って宣れよ。
しまひ(ほ〜れ〜け〜〜)だけ節(ふし)長くよめよ。
それを三たびよみて宣りあげよ。
「天津祝詞の神」とも、この方申すぞ。
七月十五日、
一二Θ。
43>48
ひふみ神示 第 02 巻 、下つ巻
第一帖(四三)
富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる、下つ岩根に祀り呉れた。御苦労ぞ。いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居はいらぬぞ。鳥居とは水のことぞ。
海の水ある、それ鳥居ぞ。
皆の者御苦労ぞ。
蛇(じゃ)が岳は、昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ。神急けるぞ。
山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。
天晴れて、神の働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。
つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ。
道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ。神の国の中に神がみちみつることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
七月の十二日の神示(ふで)、
ひつくのか三。
下つ巻、第六帖 (四八)
今までの神示、縁ある臣民に早う示して呉れよ。
神神さま、臣民まつろひて、言答(いわと)開く「もと」出来るから、早う知らせて呉れよ。
誰でも見て読める様に写して、神前に置いて、誰でも読めるやうにして置いて呉れよ。
役員よく考へて、見せるとき間遠へぬ様に(まどえぬように?、おそらく「惑えぬように」)して呉れよ。
七月の十五日、
ひつくのか三神示。
44>47
下つ巻、第二帖(四四)
今度、岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。
岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ。
大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。
慾が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ。
神の御用と申して、自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ。どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。
神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、素直に今の仕事致して居りて呉れよ。その上で神の御用して呉れよ。
役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん。それぞれに臣民としての役目あるぞ。
役員づらしたら、その日から代りの身魂(もの)出すぞ。鼻ポキンと折れるぞ。神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ。
七月の十三日、
ひつ九の か三。
みなの者 御苦労であったぞ。
下つ巻、第五帖 (四七)
江戸に神と人との集まる宮建てよ。建てると申しても家は型でよいぞ。仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。
「Θ」の石まつりて、神人祭りて呉れよ。
それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。
淋しくなった人は集まりて、その神示(ふで)見てよ。
神示見れば誰でも甦るぞ。
この神示、うつす役要るぞ。
この神示、印刷してはならんぞ。
神の民の言葉は神たたえるものと思へ。てんし様たたえるものと思へ。人ほめるものと思へ。
それで言霊、幸はふぞ(ことたま、さきわうぞ)。それが臣民の言葉ぞ。
わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。
七月の十五日、
ひつくの かみのふで。
45>46
下つ巻、第三帖(四五)
この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのに。まだ気づかんから木の型をやったであろうがな。
それが神の或る活動の時の姿であるぞ。
神の見せ物にしてはならんぞ。お山の骨もその通りぞよ。
これまで見せてもまだ分らんか。何もかも神がさしてあるのぞ。
心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ。今度のお山開き、まことに結構であるぞ。
神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ。
神の話、結構ぞ。
七月の十三日、
ひつ九のかみ。
下つ巻、第四帖 (四六)
早く皆のものに知らして呉れよ、神急けるぞ(かみ、せけるぞ)
お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか。
それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが。それで素直に神の申すこと聞いて呉れて我(が)を出すなと申してゐるのぞ。
何事も神にまかせて取越し苦労するなよ。
我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか六ヶ敷いぞ(むつかしいぞ)。
五十九の石の宮、出来たから、五十九のイシ身魂、いよいよ神が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。
今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた、昔からの因縁の身魂の身ざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ。
教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。
この仕組、知らさなならず、知らしてならんし、神もなかなかに苦しいぞ。
世の元からの仕組ざから。
いよいよ岩戸開く時来たぞ。
七月の十三日、
ひつくのか三。
以上。p(^_^)q
備考)
第一巻、上つ巻、全四十二帖
自 昭和十九年六月十日
至 昭和十九年七月九日
(一帖〜四十二帖)
第一巻、下つ巻(四百つ巻)全三十八帖
自 昭和十九年七月十二日
至 昭和十九年八月三日
(四三帖〜八十帖)
編集 ブースカ明日香
脚注など ひるこの“あさりちゃん”、他、神神さま
2018年8月27日(月)21:52